“やりたいこと” “やれること” “やるべきこと” だけやって生きていこう!(prologue)
やらざるを得ない状況や環境に身を投じる
世の中には
自分の夢を叶えようとして、どんどん前に進んでいく人もいる。
なかなか最初の一歩を踏み出せずに同じ場所に留まっている人もいる。
『絶対に夢は叶うはずがない』と信じている人の夢は、決して叶わない。
『絶対に夢を叶える』と信じることが最初の一歩だ。
夢を叶える方法を考えてる時点で夢は叶うことはない。
本当に夢を叶える人は、“夢中”っていう状態になるくらいに本気になるから叶う。
夢を叶えたいと思うのであれば、夢を叶えることを決断しなければいけない。
つまり、強い気持ちで覚悟を決めて決断することだ。
“やりたいこと”をやっているとワクワクして楽しい。
“やりたくないこと”をやっているとワクワク感はないので面白くない。
“やりたいこと”をやってる方が明らかに成長する。
何かを達成したい時、大事なのは「意識」ではなく、現実的な行動だ。
どんな夢であろうと、必ず「行動」から始まる。
“やりたいこと”をやって生きていくという覚悟ができたのなら「行動」するだけだ。
夢を追いかけていれば、「お前には無理だ」とか「諦めろ」とかの、反対する意見とか否定する意見を必ず受ける。
そんな他人に振り回されて決断が揺らぐようでは、覚悟ができない証拠だ。
「行動」する上で、やらざるを得ない状況や環境に身を投じる、というのは大切だ。
私は長年勤めた会社を辞めた。
決断は「決める」と「断つ」
“身から出た錆”なのだが、会社生活で一旦狂い始めた歯車は戻らなかった。
上司とのトラブル、病気、人事処分、干される
“やりがい”を感じられる仕事は与えられなくなり、自棄になっていた時に
ある人にこう言われた。
“干された”苦悩時期を過ごしてきたんだから、今のまま我慢して黙って他人に合わせることは誰よりもできる人だと思う。
元々自由人なんだから、言いたいことを言って、自分らしく生きていくことに簡単に戻ることはできる人だ。
今の貴方にとって、どっちが得なの?損なの?
どっちをやっても差が無いのなら、答えはわかってるでしょ?
決断というと「決める」ことに気を取られがちだが、大事なのは決断の「断つ」ことだと気が付いた。
「会社内における自分の状態が好転するのではないだろうか?」という気持ちが少なからずあった。
決めたこと = 他人に期待しない
断ったこと = 過去の成功体験
他人の課題と自分の課題を分ける
上記「決断」によって
【自分ではどうにもできない問題】
【自分がどうにかすべきでない問題】
に悩むことが無駄だと気が付いた。
「他人の課題」と「自分の課題」をゴチャ混ぜにしてしまっていて、客観的に自分を見ることが出来ていなかった。
夢を叶えるために歩き続ければ、山もあれば谷もあるし、茨の道だってある。
辛いことや大変なこと、悔しいことなどあらゆる大変な状況になることが必ずある。
そんな時にこそ自分が成長することができる。
今、目の前にある与えられている仕事は “やりたくないこと” であったが、“やるべきこと” と捉えるようにして、いかに楽しんでやるか?というポジティブ発想に切り替えることができた。
自分は自分 他人は他人
恥を恥とも思わない勇気を持つ
他人を“いじる”人でなく、“いじられる”オッサンの方がカッコいい。
笑える自虐ネタで他人を楽しませ、他人を“いじる”のでなく自分を“いじらせる”ことで、場に馴染めていない人を呼び込むこともできる。
知らないことは、「教えてください」とお願いして教えてもらえばいい。
「聞くは一時の恥、聞かぬは一生の恥」
「問うは一時の恥、問わぬは末代の恥」
口では「貴方のため」と言いながら、「自分は人よりも優れていることを証明したい」という高慢な思いでいっぱいだったのだろう。
身の丈にあった生き方をすればいいのに、驕りと高ぶりによる高慢な言動を行っていた。
「高ぶりは破滅に先立ち、心の高慢は倒れに先立つ」
「笑われて、笑われて、強くなる」
笑われて成長することもあれば、あえて笑われる道を選ぶことだってある。
まだまだ道半ば
過去の残像を捨てて、いつも新鮮な自分でいよう。
未来をよくするための時間にエネルギーを費やす。
やめることを躊躇しない 捨てるセンスを磨く。
諦めた瞬間に“老い”が始まる。