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【元ネタ深掘り】第5部「黄金の風」feat.暗殺者チーム(イルーゾォ&プロシュート)

イルーゾォ

臆病な性格の持ち主であり、直接的な戦闘は避け、罠や奇襲で敵を追い詰める戦法を好みます。スタンドの能力を利用して心理戦を得意とするキャラクター。

名前の由来はイタリア語で「幻影」(英語なら「イリュージョン」)

スタンド「マン・イン・ザ・ミラー」

鏡の中に「別世界」を持ち、敵を引き込むことで孤立させます。
鏡の中の世界では、相手のスタンド能力が制限されるため、圧倒的に有利な状況を作り出せます。
ただし、鏡という媒体が必要であるため、鏡を破壊されると能力の発動が制限されます。

元ネタは、マイケル・ジャクソンの楽曲「Man in the Mirror」

「Man in the Mirror」

1988年、アルバム『Bad』収録曲
この楽曲は、「世界を変えたければ、まず自分を変えることから始めよう」という自己反省と社会的メッセージを込めた名曲です。


歌詞には、内面的な変革を促す力強いメッセージが込められています。

"I'm starting with the man in the mirror"
(私は鏡の中の自分から変わり始める)
"If you wanna make the world a better place, take a look at yourself and make a change"
(世界をより良くしたいなら、まず自分を見つめ直して変化を起こせ)

鏡は古来から「真実を映し出すもの」「内面を覗き込む窓」として象徴的に使われてきました。

荒木先生は、この普遍的なテーマをスタンド能力として具体化しつつ、マイケル・ジャクソンの楽曲に込められた「自分自身の改善」というポジティブなメッセージを想起させようとしたのかもしれません。


興味深いのは、楽曲が自己改革をテーマにしているのに対し、イルーゾォは自分自身を変えようとせず、むしろ「鏡の中の世界」で他者を操ろうとすることです。

荒木先生は、この対比によって、「鏡」が持つポジティブな側面とダークな側面の両方を読者に考えさせるようにしているのでしょう。

"Take a look at yourself and make a change"
(自分を見つめて変わるんだ)

単なる感情的な訴えではなく、変化をもたらすには具体的な行動が必要だと訴えています。


プロシュート


彼の信念は「チャンスを逃さない」「覚悟を決めること」。

「覚悟はいいか?俺はできてる。」

その冷徹さと計算された行動は、暗殺者としてのプロフェッショナリズムを象徴。チーム内ではリーダーシップを発揮し、特にペッシに対しては兄のような厳しい指導者の一面を持っています。

スタンド「ザ・グレイトフル・デッド」


スタンドが放出する霧に触れた者は急速に老化します。温度が高いほど老化の進行が早まり、逆に冷えた環境では効果が弱まります。
広範囲を一気に攻撃する能力は、敵に避け場を与えず、無差別に壊滅的なダメージを与えることができます。

元ネタは、アメリカの音楽史において象徴的な存在であり、独自のスタイルと文化的影響力を持つロックバンド

The Grateful Dead

The Grateful Dead


プロシュートとThe Grateful Deadの組み合わせは、「死」「時間」「愛」という普遍的なテーマを、物語の中で強く印象付けるものです。

荒木先生は、このキャラクターを通じて、「覚悟を持って生きること」「時間を大切にすること」「死を受け入れることで生の意味を見出すこと」を、読者に考えさせたかったのではないでしょうか。


『ヒッピー』誕生


1960年代後半、ベトナム戦争の影響で若者たちは怒りと絶望を抱え、同時に愛と平和を求める声が大きくなっていました。

西海岸サンフランシスを中心とした若者中心の新しいムーブメントが起こります

『ビート・ジェネレーション(Beat Generation)』
第二次世界大戦後の好景気に沸くアメリカの文学界の異端児グループの活動の総称で 文学・美術・音楽をふくむ数々の自由の精神に支えられていた文化・思想・行動様式に影響を受けた人々を【ビートニク(Beatnik)=ビート族】と呼びました(狂騒の時代と呼ばれた1920年代生まれ世代)

【ビート族】の多くはサンフランシスコに住んでいました。

【ビート族】になり切れない新参者(若者)は
「ジュニア・グレード・ヒップスター(お子ちゃま軍団)」と【ビート世代】から揶揄され『ヒッピー』という言葉が生まれます。



『ヒッピー』たちは家賃が高騰したサンフランシスコには住めず ヘイト・アシュベリーに沢山あった『朽ちかけたビクトリア様式の館』でのシェアハウス運動を始めて、ある種のユートピア社会を作ることを目指します。

カラフルな衣装をまとい、路上で踊り、平和を祈る人々が集まる街角に、音楽の波が広がっていました。

Haight-Ashbury


サマー・オブ・ラブ(Summer of Love)

1967年の夏 アメリカで巻き起こった文化的・政治的な主張を伴う社会現象が『サマー・オブ・ラブSummer of Love)』と呼ばれています。

1967年1月14日「ビー・イン(Be-in)」


サンフランシスコのゴールデンゲート・パークで「ギャザリング・オブ・トライブス(部族の集会)」と呼ばれる無料イベント(ただ集まるだけ)が開かれ2万人にのぼる若者が集まりました

そこでハーバード大学の教授が演説

「大学なんて退学しろ! 高校も中退しなさい! いまの社会のままでは、決められた道を歩む価値は無い」


そんなムーブメントの中心にいたのが、The Grateful Deadだったのです。


リーダーである ジェリー・ガルシア は、ギターを手にしながら静かに観客に向かってこう語りました。

「この音楽は僕たちだけのものじゃない。ここにいるみんなのものだ。だから、僕たちの音楽を自由に持って帰って、広げてほしい。」



「デッドヘッズ」の誕生とコミュニティの力


その言葉通り、彼らの音楽はロック、ブルース、フォーク、カントリー、ジャズを自由に融合させたものでした。

ヒッピーたちはその音楽に魅了され、ライブ会場に集まり、やがて「デッドヘッズ」と呼ばれる熱狂的なファンのコミュニティが生まれます。

ファンたちは、ライブツアーの全日程を追いかけ、テープレコーダーで演奏を録音し、その音源を仲間と共有します。

「デッドヘッズ」の一人が言いました。

「The Grateful Deadの音楽を聴くと、人生そのものが旅だって感じるんだ。どんなに暗い道でも、音楽が灯りをともしてくれる。」


ドラッグと幻覚の世界

The Grateful Deadの音楽には、時代の影響を受けたサイケデリックな要素が含まれていました。
LSDやマリファナが若者たちの間で広まり、音楽はドラッグ体験を増幅する媒介としても機能していたのです。

ライブ会場では、サイケデリックな光のショーが音楽と共に展開し、観客はまるで別世界に引き込まれるような感覚を味わいました。


しかし、ジェリーはこうも語っています。

「ドラッグは扉を開けるカギにはなるけど、そこに留まるべきじゃない。重要なのは、扉の向こうに何があるのかを見つけることだ。」


フラワーパワー・ムーブメント


1967年10月21日 
「ベトナム戦争終結のための全国動員委員会』の呼びかけに応じて、ワシントンのリンカーン・メモリアル公園に10万人が集まりペンタゴンまで反戦デモ行進が行われました。

そこで1人の若者が警備隊に近づき ライフルの銃口に1本づつカーネーションを差していきます。


ヘイト・アシュベリーには大量(4万~10万人)の若者流入するのに伴って治安悪化していきます
好意的であったメディアも「クレイジーなヒッピーたちによる犯罪問題」を煽るように変化していきます

ヘイト・アシュベリーでコミューンを創ろうとしていた『オリジナル・ヒッピー』も「ここは聖地ではない」ことを認めざるを得なくなりました

1967年の冬 「ヒッピーの死」というデモンストレーションが行われ「サマー・オブ・ラブ」運動は終焉します

ヒッピー文化とThe Grateful Deadが残したもの


1960年代のヒッピー文化とThe Grateful Deadが象徴するムーブメントは、現代にも重要な価値観やライフスタイルを伝え続けています。

  1. 個人の自由と多様性の尊重

  2. コミュニティと協力の重要性

  3. 環境意識と持続可能な未来への取り組み

  4. 平和と非暴力のメッセージ

  5. オルタナティブな生き方の可能性


ヒッピーたちが描いた「自由で平和な未来」という夢は、まだ完全に実現されたわけではありません。

しかし、その精神は多くの人々の中で生き続け、変化し続ける世界において、私たちが目指すべきビジョンを示し続けています。



続く、、、



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