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君の話は“正しい”間違っていない でも、“面白くない”

『正論』というものは、まさに正しくて非の打ち所がない。

しかし、妥協点も無いほどの『正論』は、時として実社会において害をなすことがある。


『正論』を言う側からしたら、正しいことを論じている。

しかし、相手を『正論』で諭そうとすると

「“正論”ばっかり言われてもさ・・・」
「“正論”だけにむかつく」

などと言われることも多々ある。


「お客様のお気持ちはわかりますが、これはルールなんです。ご容赦ください。」

企業側にとっては『正論』。

お客様にとっては

「ルールもわかるんだけど、ちょっとは融通の効かせてよ。」

ってのが本音ではないだろうか?



“正論” は時に “暴論” より人を傷つける


『正論』は、使う側の意図から外れて、聞く者の心を傷つけることがある。

「“正論”を振りかざす」・・・まるで刃物

「“正論”を吐く」・・・まるで汚物

のように使われることもある。


なぜ、『正論』は正しいのに、人を傷つけてしまうのか?


『正論』とは?

”道理にかなった”正しい議論

という意味だ。

「道理にかなう」とは物事の道筋が正しいことを言い表す表現


相手は、「正論」なので、こちらの言い分を“理解”する。

それでも“理解”した上で、

「正論だけどさ・・・」

と言い返してくる。


“理解”できたけれど、受け入れられない状態。

これは「納得している」とは言い難い。


『正論』が嫌われる理由は?

“言い方” の問題


が大きい要因なのでは?

「でもさ、そんな風に言わなくてもいいじゃないか!」


「言葉」は「言刃」

むやみに振り回せば、相手を傷つけるだけ。



意思を踏まえない「理解」 意思を踏まえる「納得」


「理解」

自分の“意思”とは関係なく、物事の筋道を正しくとらえること

ただ事実を受け止めることを表す。


「納得」

自分の意思を踏まえた上で相手の考えや行動を受け入れること

自分自身の考えや意見と合致しないと成り立たない。


『正論』なので「正しい」と理解しても

『自分自身の考えや意見と合致しない』 

のだから「納得」ができない。



口の軽い人間はすぐに吹聴する悪癖を持っている


口の軽い人間は平気で人の話をする。

自分が話した言葉に責任を持てない人間ほど、口が軽い。

内容を確かめることもせず、聞きかじった程度で真偽の程も分かっていないのに、無責任に話をする。

内緒や秘密の話も無責任に吹聴し、相手の迷惑を考えない不徳の人間

トラブルに発展すると

「悪気はなかった」

と釈明する。


「悪気が無い」のでタチが悪い。

本人に自覚がないので何度も同じことを繰り返す。

内容の“真意”を「理解」できないので、「納得」できないまま、満足に調べもしないままに、自分の感情だけで吹聴する。


この種の人は、社会的な地位が高い人や見識者と呼ばれている学者にもいる。

自己主張が強い方が多く、自分自身の考え方や意見に確固たる自信を持っているので、更に“厄介”な存在。

この厄介な人々が参戦してくると混乱して、時には、あらぬ方向に向かって行って収拾がつかなくなる。


心は人格、口は人徳 言葉はその人そのもの



正しいだけでは“現状打破”はできない


自分の考えや理論を相手にわかってもらい、なんとか説き伏せようという感じで「説得」しようとすると上手くいかない。

熱心に説明するので「わかりました」と言うものの、どこか“腑に落ちない”。


「こいつ、押しつけやがって」 と、不快に感じてしまう。

「説得する」とは【一方的な話し方】


「○○だから○○なんです」
と持論ばかり話していても相手は「納得」しない。

どんなに丁寧な言葉遣いでも、まくし立てて強いトーンで話すと不快感を与えるだけ。

これでは「納得」は得られない。


「納得する」というのは

相手の話に共感して

「ああ、なるほど!」

と腹に落ちすることだ。


「説得」とは逆で、【相手軸】での話し方をしなければならない。



共感力を向上させた話し方


「共感」とは

相手の気持ちを理解し、相手と気持ちを共有すること


相手の気持ちを動かす「納得される」話し方は

まず相手を理解して「共感」するところが第一歩。

人の気持ちがわかる。人の痛みがわかる。察することが出来る。


『共感力』の基本は 相手への興味・関心


どれだけ“正しいこと”を言っていても、どれだけ“相手の役に立つこと”だとしても

聞く相手の気持ちを無視して「自分の意見だけを直球で伝えてしまう」と伝わりにくい。

そして、話が“正しくて”“間違っていない”としても、“面白くない”話ならば興味も沸かない。



人間関係のほとんどが、相手と白黒はっきり決着をつけることでは無く、「共感」を求め合って成り立っている。


『共感力』が弱い話し方というのは

“論理的”だから

かもしれない。

論理とは常に

善か?悪か?
白か?黒か?
得か?損か?

という損得勘定、利害関係、固定観念が生まれやすくなる。


“論理的な話”が、共感力を邪魔している原因は

理解できても心に響かない

話が 面白くない

感動もしない 感激もしない


「正しい」という枠組みによって、縛られてしまっているので、人の感情に訴えるというストーリーが欠けている


人は“論理”や“理屈”ではなく “感情” で動く 



君の話は“正しい”間違っていない でも、“面白くない”


これでは 人は動かない



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