“DJ GAVI”と名乗ってディスクジョッキーになることを諦めない理由
“GAVI(ガヴィ)”とは
赤ワインの生産量が6割を占めるイタリア・ピエモンテ州で、白ワインのみが認められた産地呼称。
1974年からDOCだったが、1998年にDOCGに昇格した“白ワイン”。
イタリアやフランスのソムリエはバローロブラン(白のバローロ)と呼ぶことがある。
地域の中心となるガヴィ村(コムーネ・ディ・ガヴィ)のコルテーゼだけで造られるワインが
「ガヴィ・デル・コムーネ・ディ・ガヴィ」略して「ガヴィ・ディ・ガヴィ(Gavi di Gavi)」
“GAVI”との出会い
1990年代の初頭、世田谷代田・環七沿いにある“行列ができる人気店”『パッパガッロ(PAPPAGALLO)』でよく食事をしていた店長から
「今度TVの取材があるので、食事に来てください。」
と声をかけられた。
TV取材の日、行列に並んだ後店内に入って食事をオーダーしようとしら店長が
「今日はありがとうございます。インタビューされました?行列に並んで頂いたお礼のワインです。」
このワインが “GAVI”。
“GAVI”をペンネームに
サラリーマン時代の東京本社の営業推進部勤務の時のことだ。
“Bay FM”の開局に伴い、会社がスポンサーとなる番組がスタートした。
この流れで電通と一緒に販促ツールの一環として、店内BGM用のカセットテープ制作の仕事に携わることになった。
ラジオ番組仕立てにしてDJがクリスマスに合う洋楽を紹介しながら、交通安全について語るという構成だ。
音楽著作権問題をクリアーにできる曲を選曲し、番組全体を構成するのが私の役割だ。
DJの選定は数人の書類審査を電通などの社員と行い、最終は二人に絞られ、光岡ディオンさんにお願いすることにした。
(もう一人は、リサ・スティッグマイヤーさん)
この仕事の数日間で完成させなければいけなかったので、20時に会社を出てスタジオ入りし、夜中まで作業と打合せを行っていた。
そして音楽業界人気取りで、私は「GAVI」と呼んでもらっていた(笑)。
“DJ GAVI”と名乗るようになったキッカケ
営業推進部から転勤4部署目となった勤務地で、“コミュニティFM開局”するという情報を入手した。
伝手を使ってFM局の経営陣に会い、番組内容のプレゼンを行い、保険代理店等の社長に声掛けしてスポンサーを募り、3カ月後の4月から毎週木曜日の夜(20:00~21:00)に番組をスタートできることになった。
勤務している会社の名前を使う訳にもいかないし、本名を名乗れないない
“DJ GAVI”
と名乗ることにした。
「やった!相方は英語が喋れる女子大生も決まったし、楽しくなってきたぞ!」
しかし喜んだのも束の間 1週間後の2月初旬
日頃の“素行の悪さ”の積み重ねと、ラジオでのDJ活動が“他業就業違反”に該当するという理由で “人事処分(戒告)” を言い渡された。
「待ってくださいよ。勤務時間外だし、カネなんてもらってないし、、、、。こっちの言い分も聞いてくださいよ。」
「言い訳はいらないです。この書面にサインしてください。サインしないのならば、、、お分かりですよね。」
家族を養っていかなければならないし、会社を辞めて生きていける当てもない。
コミュニティFMでの番組は諦めることした。
苦しみの報酬は経験
”DJ GAVI”になろうとしたことは、サラリーマンの私に大きな代償を払うことになった。
何の仕事も与えられなくなり、昨日まで一緒に飲んでいた同僚も客先も、蜘蛛の子を散らすように去っていく。
デスクに座っているだけで、誰とも喋ることもなく、誹謗中傷、陰口、冷たい視線に耐えるだけの会社生活になっていった。
休日の午後、空を眺めながらボンヤリ考えながら
「もう昇進することもない。今何か動いても好転することはない。どうするかな?」
「我慢して座ってるだけで給料もらえるんだから、家族を養っていけるさ。独立する準備の勉強時間と考えよう。」
「こんな経験はほとんどの人はできない。これも人生経験。何かの意味があるんだろう。」
「どうせだったら、将来 “DJ GAVI” になって皆を見返してやろう!」
酒はハッピーな時に飲もう 不幸だからという理由で飲んでは決してならない
“DJ GAVI”は老若男女問わず“元気”を与えるディスクジョッキー
良い意味でも、悪い意味でも、“DJ GAVI”に成ることが目標となり、開き直ることができた。
「そうだ!いつ会社辞めてもいいように、家族が安心して住める家を買おう。」
中古住宅であったが、なんとか家を手に入れることができた。
しかし、私は自分の家に住むことはなかった。
引渡し前に東京転勤を命じられ単身赴任生活がスタートすることになった。
“GAVI”のロマンチック”な逸話
東京の勤務地でも何の仕事も与えられないデスクに座っているだけだったが、同僚と喋ることはできたのは救いだった。
17時の終業チャイムとともに会社を飛び出し、あらゆるジャンルの勉強ができる機会を見つけにいく生活に変わった。
そんな或る日、ソムリエに、“GAVI”のロマンチック”な逸話を教えてもらった。
6世紀のフランク王クロドメールの娘、ガヴィア(GAVIA)は、父親の警備係の男性と恋に落ちる。
そして結婚の許しを得ようとガヴィアは、クロドメールに伺いを立てたのだが、身分の違いを理由に許しをもらえない。
絶望した二人は逃亡して、アルプスの反対側にある小さな村にたどり着く。
宿泊先で白ワインを飲み酔ったのか?逃亡の経緯を宿の主人に話しまった。
宿の主人は二人に同情したが、こっそりとクロドメールに二人の居所を伝える手配をしていた。
二人は軍隊によって捕まり、クロドメールの前に連れ戻され、宿の主人は莫大な報奨金をもらえた。
そして陳情する娘ガヴィアの涙に負けて、王クロドメールは二人の結婚を認めた。
二人には結婚祝いとして思い出の小さな村を与えられ、
その村は”ガヴィ(GAVI)”と名付けられた。
“DJ GAVI”が目指していること
還暦前のオッサンが馬鹿な事言ってんじゃないよ!
と思われるかもしれないが
私は“DJ GAVI”としてディスクジョッキーになることを諦めていない。
“諦めた瞬間に老いが始まる”
ん?で?“DJ GAVI”は結局具体的に何するの?
“音楽”という共通言語で喋って多くの人を元気にすること!
残念ではあるが、スペルが間違いには気が付いていない。
正)DJ BAKA
このことを自覚することが、目指すべきことだ。
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