今だから知って欲しい!エドワード・R・マローとマッカーシズムとの闘い
エドワード・R・マロー
CBSテレビ専属ジャーナリスト兼アンカーマン
第二次世界大戦後、アメリカとソビエト連邦との間で冷戦が始まりました。両国間のイデオロギー的、政治的対立が深まる中で、アメリカ国内では、ソ連や共産主義への恐怖が高まっていったのです。
アメリカでは、共産主義者またはそのシンパと疑われる人々が国家の安全に対する脅威と見なされ始めました。このような恐怖は、政治家やメディアによって煽られ、国民の間に広がっていきました。
これが所謂「赤狩り」です。
1946年:大ストライキの年
1947年:タフトハートレー法成立 - クローズドショップ制の禁止、ストライキの禁止などを内容としワグナー法(1935年)で認めた労働者の諸権利を大幅に修正したもので、中でも注目すべきは「組合役員が非共産主義宣誓を行うこと」を要求した点です。
1947年以降:非米活動委員会 (HUAC) の活動強化
【ハリウッド・テン】
1947年9月23日アメリカ合衆国下院非米活動委員会(House Un-American Activities Committee、略称:HUAC)によって共産党への関与が疑われたハリウッドの10人の映画制作者たちブラックリストを作り、公聴会に呼び出し喚問を行ないます。そこで最初に呼ばれた、のちに“ハリウッド・テン”と呼ばれる10人で仲間の密告を強要されることになるのです。
この【ハリウッド・テン】は、「赤狩り」の最初の波として大きな注目を浴び、エンターテインメント業界全体に対する恐怖とセンサーシップ(検閲)の文化を生み出しました。
共産主義に対する警戒心や恐怖を煽り、反体制的な意見や行動をとることのリスクを示すための「見せしめ」として効果は絶大でした。
この「赤狩り」の流れでの”最大の悲劇”のひとつが
チャップリンの追放だったでしょう。
マッカーシズムとは?
共和党の上院議員マッカーシーを中心とて行われた、反共産主義の政治活動で、多数の政治家、役人、学者、言論人、芸術家、映画人などが親共産主義者として告発された動きの事です。
政府内部ではニューディール時代からの民主党系の自由主義的な国務省のスタッフがその対象とされ、さらに学者が言論人にその告発が及びました。
マッカーシーの執拗な共産主義者の摘発をトルーマン大統領もそれを黙認、追及の手はマーシャル前国務長官にまでおよび、「マッカーシー旋風」が吹き荒れて国民の不安を駆り立てたのです。
マッカーシーは、政府や軍の幹部が共産主義者であるという証拠を振りかざしHUACで追及の手を緩めません。
その手は芸能界やマスコミにまで及び、共産主義者と断定されれば、その人物はアメリカへの裏切り者として社会から抹殺されてしまいます。
当時アメリカ中のあらゆるマスコミは「赤狩り」の標的になることを恐れてマッカーシー批判を行っていませんでした。
マッカーシズムに対抗したエドワード・R・マロー
そんな状況下においてアメリカ大手マスコミで唯一「マッカーシー批判」を始めたのがCBSテレビ専属ジャーナリスト兼アンカーマンのエドワード・R・マローの番組『See it Now』だったのです。
1954年3月9日
『See it Now』の30分間の特別番組『A Report on Senator Joseph McCarthy』で、強引かつ違法な手法で個人攻撃を行うマッカーシーのやり方を鋭く批判。
この番組が、アメリカの大手マスコミ(CBS)による初めての「赤狩り」及びマッカーシーへの批判だったのです。
CBSとしては、テレビ局としてマッカーシーから弾劾され、広告主が撤退するという最悪の事態を企業としては想定しないわけにはいかなかったはずです。
マローと企業防衛に走るCBS経営陣と激しい衝突があったことは容易に想像できます。
経営陣や上層部からの圧力に屈しそうになるスタッフに向けて、マローは放送の2日前(3月7日)次のように語ったそうです。
1954年4月6日
マッカーシーのために用意された反論番組を放送
マローはマッカーシーから信憑性に欠ける虚偽の情報を元にした攻撃を受けたが、マローはその攻撃に対して一つ一つ事実を説明しながら冷静に反論。
この二人のやりとりは、多くの視聴者から支持されて、この番組をきっかけとして、他のマスコミもマッカーシー批判を行うようになっていったのです。
この当時は「問題に関してある一方の見解を放送した場合、相対する見解のプレゼンテーションに対して妥当な機会を与えねばならない」という放送通信を管掌する連邦通信委員会の”フェアネスドクトリン(*)”があったのです。
マッカーシズムの終焉
マローの放送の後、マッカーシーへの評価は下降線をたどります。
1954年6月11日
マッカーシーに対する譴責決議案を発議され調査開始
1954年12月2日
65対22でマッカーシーを「上院の品位を損ね、それへの批判を生む行動をした」とした譴責決議を採択
マローが教えてくれたこと
ジャーナリストとしてのマローとCBSテレビのスタッフが作った番組
『See it Now』
この番組は
「社会的正義を実現する素晴らしいジャーナリズムの記録」
「冷戦時代のマッカーシズムの実態を知る歴史的な資料」
なのです。
マスコミは「大衆化路線」「利益優先主義」に邁進するのではなく
『時代の証言者』 であり『社会の変革者』としてのジャーナリズムを忘れたはいけない。
フェアネスドクトリン(*)
フェアネスドクトリンは、放送メディアが公共的な関心事に対して公平なカバレージを提供することを目指したアメリカの放送政策の一つでした。
これを簡単に説明すると、以下のようになります。
フェアネスドクトリンの基本原則
公共的な問題への均等なアクセス: 放送局は、社会的に重要な議論や論争がある問題について、多様な見解を取り上げるための時間を均等に提供する必要がありました。
相対する見解の提供: もし放送局がある特定の見解や意見を放送した場合、反対側の意見や異なる視点を持つ人々にも発言の機会を提供することが求められました。これにより、一方的な情報の流布を防ぎ、公平性を保つことが目指されました。
法律ではないが遵守される規則: フェアネスドクトリンは法律ではなく、連邦通信委員会(FCC)による規則として設けられました。放送局はこのドクトリンに従うことが期待されていました。
フェアネスドクトリンの影響
このドクトリンにより、放送メディアは社会的に重要な問題について、異なる視点を提示することが促されました。これにより、視聴者はより包括的でバランスの取れた情報を受け取ることができるようになりました。
また、この原則は、情報の多様性と公平性を確保するための重要なガイドラインとなり、他国の放送政策にも影響を与えました。
廃止後の影響
1997年に廃止された後、放送局は論争のある問題に対して均等なカバレージを提供する義務がなくなりました。
これにより、特定の政治的またはイデオロギー的な立場を強く反映するメディアが増加し、情報の偏りや分断が進む傾向が見られるようになりました。