“自信のない後輩”と“自信過剰な先輩”へ これまで着飾ってきた“プライド”や“承認欲求”といった鎧を脱ぎ捨てませんか?
自信とは
● 自分の能力や価値を確信すること
● 自分の正しさを信じて疑わない心
読んで字のごとく
「自らを信じる」ことだ。
ビジネス上は、どちらの人が“面倒”で“厄介”な人なのか?
“自分に自信がない人”っているものだ。
「失敗するかもしれない」
「他人の目が気になる」
「同僚に嫌われるかもしれない」
と不安を抱えているのだろう。
『過去と他人は変えられない』というように
自分にはどうすること『他人の基準』を想像して“不安”“臆病”になっているのか?
逆に、“自信過剰な人”もいる。
「自分は誰よりも仕事ができる」
「頭の回転がはやい」
「自分はルックスがいい」
といったように自分のことを過大評価している人だ。
この“自信”は、根拠は何一つなく、自己過大評価に過ぎないので
周囲の人間から見れば“痛い”としか思えないだろう。
どちらの人も“面倒”で“厄介”な人だが、今後一緒にビジネスするとしたら、どちらのタイプを選びますか?
私はどちらのタイプも嫌だ。
”自信過剰の先輩”は絶対に選ばない。
”自分の可能性”を試していないだけなので ”自信のない後輩” の方が、まだマシと思う程度。
彼らと一緒にビジネスしても無駄な時間を過ごすだけとしか思わえない。
自信がある人は 自分の“可能性”を信じて実行する人
「そもそも自信には、根拠や理由なんて存在しない。」
と私は考えている。
自信は
今の自分に【 “ない” ものを “ある” 】 と信じること
「根拠のある自信」というものは有り得ない。
「俺は世界を変えるよ」といった事を口にする“ビッグマウスと言われる人”もいる。
この人々は、自分の“可能性”を信じていて、表明することで“実現”に向けて行動に移すのは早い。
“自信家”とも言える人は、何にでもかんでも自信を持っているわけではない。
自分が目指しているものを実現するために『大きな目標』を“表明して、自分を縛り付ける “有言実行”。
真に「自信のある人」とは
根拠なくても、自分の“可能性”を信じられる人
自信がない人は
リスクを恐れて、最悪の場合は考えているだけで動き出さないことがある。
自信過剰な人は
自分の言動によって「他人や周りの人に与える影響」が分かっていない“想像力”が欠如していることが多い。
この1年間で、“自信がない人”と“自信過剰な人”と一緒に接して感じた“共通点”
自信のない後輩に
自信をつけてもらおうとの思いもあって小さなプロジェクトの取りまとめ役をお願いした。
プロジェクトメンバーとのグループLINEで
「プロジェクト・スタート宣言」
「第1回ミーティングの日時・場所のセッティング」
を発信させた。
ところが、第1回ミーティングの1週間前、彼から私個人宛にLINEが送られてきた。
「都度重なる不手際申し訳なく存じます。当面は自分を向き合いたいと考え、プロジェクトを辞めさせて頂きます」
確かに小さなミスは多かったのは事実。
参加メンバーが、その都度アドバイスをするなどして彼を盛り上げようとフォローしてきたが、本番である第1回ミーティングが開催される前に、自ら逃げていってしまった。
実に後味が悪い。
自信過剰な先輩が
「クライアントに、こんな企画を提案しているんだが、多くの人に協力してもらいたい。」
と言ってきたので、関係しそうな外部の人々を集めて説明会をセッティングした。
説明会に参加した人からは
「有難い話です。微力ですが、私どもにもお手伝いさせて頂ければ」
と前向きな発言があった。
1か月後 自信過剰な先輩が私のところにやってきて
「あのクライアント、分かってないんだよな」
「え?何が分かってないんですか?」
「ビジネスってやつがね。そこで取引しないことにしたよ。」
と言い放って、去っていった。
(「逃げ出していった」という表現が正しいだろう。)
このことで、私は、期待に胸を膨らませる外部の人々に対する “お詫び”で走り回ることになった。
これも、超後味が悪い。
この“自信のない後輩” と “自信過剰な先輩” に共通していることは?
自ら逃げ出していったこと
逃げ出したことで、どんな影響があるのか?という想像力が欠如した“無責任”
「プライドが高く 傷つけられたくない」という自分本位の身勝手な人間でしかない。
そして、話を聞いていて面白くない。
自信のない後輩がする話は
過去の失敗も成功体験の話もできないし、相手を笑わせようと思っていないし、オチもなく、退屈だ。
自信過剰である先輩がする話は、自慢話だらけ。
自分のことならともかく、他人を出してまでも「凄いですね」と言われたいようだで、その自慢話は、大したことことではなく、面白くない。
行動するために必要なのは自信ではなく勇気
“正しい自信”というものがあるか?分からないが
『自分は何でもできる!』
といった自惚れ的なものではないことは確かだ。
他人基準でしかない「傷つかない生き方」をしようとしている人は
承認欲求を満たすことが行動のモチベーションになっている。
自信過剰なのは?
自信あるように見せているだけで、自信のなさの現れにすぎない。
自信がないのは?
自分が出した成果を受け入れる覚悟が出来ていないだけ。
未経験の分野に挑戦には、不安や恐れや付きまとうもの。
やってもいないことに“不安”や“怖れ”を感じても、それは“妄想”にすぎない。
行動するために必要なのは自信ではなく勇気
これまで着飾ってきた“プライド”や“承認欲求”といった鎧を脱ぎ捨てましょう。
自信のない後輩 と 自信過剰な先輩 に捧ぐ
パラリンピックが私に教えてくれたこと
アスリートのパフォーマンスを見ていると、ネガティブ発想ではなく、ポジティブ発想になっていった。
彼ら、彼女らに、こんなパフォーマンスが出来るのに、俺は挑戦しているのか?逃げていないか?行動できているか?
自分自身に問いかける機会となった。
過去の成功体験は何の役にも立たない
過去の失敗体験は教訓にできる
他人は変えられない
変えられるのは自分 そして 自分が目指す未来の姿