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スリ族が教えてくれたこと

NewsPicksのWEEKLY OCHIAIというコンテンツで 落合陽一さんとヨシダナギさん(フォトグラファー)の対談の中で

「スリ族には“幸せ”という言葉が存在しない 人が死ぬ 牛が死ぬ以外は悲しくない 悲しくない時は全て“幸せ”」

というフレーズが飛び込んできた

ㇵッとさせらた という言葉では表せないくらいの 全身に衝撃は走り 鳥肌が立った


ヨシダナギさん曰く

「今日みんなと一緒にお腹いっぱい食べて眠れたら“幸せ” という当たり前の“幸せ”に気が付いていない」

「スリ族は そんな当たり前のことが“当たり前”に出来ている」



今の自分は 日々の生活に追われ 何かにつけて上手くいかないことを 誰かのせいにして 

自分の都合で 人を判断して批判する

自分の都合で 人の良し悪しを決める 

自分の都合に合わない人は 何の根拠もないのにバカ呼ばわりしている



心の視野が狭く 質量も低く少ない 自分自身の人徳の低さを表しているだけだ



人は調子が良い時ほど ついつい慢心して油断しがちだ 

やっと物事がうまくいき始めた と思えた時に ちょっとした考え方のすれ違いを 修正したい気持ちで行った言動によって 全てが崩れ落ちた

冷静になって振り返ってみると 

自分都合を押し付けているだけで 相手の立場に立っていないものだった


自信 → 過信 → 慢心 → 傲慢 という典型的な失敗パターンに見事にハマって

元々から“お調子者気質”の私は つい調子に乗ってしまい 自分では気付かないうちに 傲慢な人になっていた


傲慢とは
自惚れて人を見下すこと
高慢とは
自惚れて高ぶること


どちらも非常に カッコ悪い みっともない姿だ


知らず知らずのうちに 傲慢・高慢が“当たり前”になっていた

驕り高ぶるものが 滅びるのは“当然”のこと


“当たり前”を大きくはき違えて 人として最低限必要な “謙虚”さ とは程遠い振舞いをしていたはずだ



生活する中で 正しくない 公平ではない 納得できない と思える事柄は頻繁に起こり 自分では どうにも出来ないことでイラっとしてしまうことは多い


人それぞれ 考え方や生き方が異なっている ということは理解しているつもりだが



互いを見比べて その違いで 小さい怨みも生まれることがある


これでは 多様性を受け入れているわけではない



スリ族に関するヨシダナギさんの記事を見つけて またㇵッとさせらた

『 鮮やかな模様のペイントが印象的ですが、何か意味があるのですか?』
意味は全くないんですよ。その日のフィーリングだけで衣装やペイントが決まるようです。
私もつい模様や飾りの意味を聞いてしまうのですが
「いい加減聞かないでくれ。何故なんでも意味を求めるんだ。やりたいからやってるだけなんだ」
と言われてしまいました。
私もハッとして「ファッションってもっと自由でいいんだ」と改めて気づかされたんです。
(引用 TABIZINEヨシダナギインタビュー)」


「やりたいことは 好きなこと “やりたいからやっている” って気持ちで充分なんだ」

という忘れかけていた自分の決意が蘇ってきた


シンプルに考えよう フィーリングで行動していい


自分にとって 簡単には受け入れにくい事柄 が起きたとしても 

いい時があれば悪い時もある 何かが起こっても当然


と受け止めておくことで 気持ちをかき乱されないで 傷つかなくなれる


謙虚さには “勇気” が必要で 人格的な強さの表れ

自分の本当の実力を知っている自信が 謙虚でいられるコツなのだろう



ボブ・ディラン ♬One too many mornings♬ が聴こえてきた


You’re right from your side, I’m right from mine.
『君の立場になれば君が正しいし 僕の立場になれば僕が正しい』




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