B.B.キングの黒人ラジオDJから始まる伝説
B.B.キング(本名:ライリー・B・キング)という名は、ブルースの世界で知らぬ者はいませんが、彼がギターの名手として名を馳せる前に、実はDJとしてのキャリアをスタートさせたことはあまり知られていません。
若かった彼は、自分の才能をどうにかして世に広めたいという強い願望を抱き、その願いをかなえるための旅は、ミシシッピ川を渡ってメンフィスに隣接するウェスト・メンフィスのKWEM局から始まりました。
DJでハーモニカの名手サニーボーイ・ウィリアムソンに自分を売り込んだのです。
彼の歌を気に入ったサニーボーイは、生番組の最後で彼に歌わせました。
その後、サニーボーイの後押しで、彼はウェスト・メンフィスのクラブでの仕事も手に入れました。
このクラブでの成功を機に、さらに自分を売り込みます。
次に彼が狙ったのは、全米初の黒人音楽専門局であるメンフィスのWDIA局でした。
彼の情熱と才能はすぐに認められ、彼は毎日放送される10分間の強壮剤「ペプティコン」を宣伝する番組のDJとしての仕事を得ます。
WDIA局で働くDJたちは、リスナーの記憶に残るようにと、皆それぞれニックネームを持っていました。
ライリーに与えられたニックネームは「ビール・ストリート・ブルース・ボーイ」。やがて「ブルース・ボーイ」を略した「B.B.」という愛称で親しまれるようになりました。
名前の由来は、毎週水曜日の夜にビール・ストリートのアマチュア・コンテストに欠かさず出演していたことから来たとされていますが、「ペプティコン・ボーイ」から来たという説もあります。
半年が過ぎる頃には、B.B.キングはWDIA局にとっても欠かせない存在となっていました。
彼がリスナーに向かって語りかける姿勢は、他のDJとは一線を画していて、単なるエンターテイナーではなく、リスナーにとって信頼できる存在になるように、常に正直で誠実にリスナーに向き合うことを心がけました。
この誠実さは、彼が後にブルースの王様と称されるまで、彼のキャリアを通じて変わることのない信条となったのです。
このエピソードは、チャンスをつかむためには情熱と努力が不可欠であること、そして何よりも人々との誠実な関係が成功の鍵であることを教えてくれます。
彼がギターを手にした瞬間から、ラジオのマイクに向かう時まで、常に心から音楽を愛し、人々を喜ばせることを第一に考えているのです。