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祖父の言葉、私たちの原点。

1948年に創業した澤井コーヒー本店。その歴史を綴るうえで欠かせない、1つの赤いミルがあります。(※ミル:コーヒー豆を粉砕する器具・機械のこと)

当店の1番高い棚、ガラスケースに守られて鎮座している赤いミル。僕(3代目)が生まれる前からずっと、この店を見守っています。

このミルを使っていたのが創業者の澤井正夫、僕の祖父です。戦後間もない1948年、焙煎されたコーヒー豆を手に入れ、この赤いミルで挽いたコーヒー粉を販売したのが始まり。澤井コーヒー本店の歴史は焙煎機ではなくミル1つで始まったのです。

1948年のコーヒー事情

江戸時代に日本に伝わり、明治時代の“文明開化”によって普及したといわれるコーヒー。大正を経て昭和には益々需要を伸ばしますが、第二次大戦中は『敵国飲料』として輸入が停止されていました。コーヒーの輸入が再開されたのは、終戦から5年が過ぎた1950(昭和25)年でした。

創業は1948年。コーヒーの輸入再開は1950年。

そもそも全面的な(公的な?)輸入再開の前に、祖父がどのようにコーヒー豆を手に入れたのか、その経緯は分かりません。ただ、受け身の発想の持ち主ではできない行動だということは、令和を生きる僕にも分かります。

コーヒーがまだ手に入りにくかった当時、ミルも家庭レベルでは普及していませんでした。輸入が解禁された後でも、コーヒーは専門業者が挽いたものを買うというのが一般的だったようです。そんな状況下に生きた祖父は「コーヒーを手に入れて粉に挽く」ということがお客様にとっての価値になり、自らの生計を立てる術になると考え行動した。まさに生業としてコーヒーを選んだのだと思います。

どうして焙煎機ではなくミルが原点なのか

そんなミルの横には祖父の直筆で「我天職之原点」という言葉が添えられています。

創業から少し経った昭和30年代に購入した焙煎機が、今では当店のシンボルとなりましたが、このミルに「我天職之原点」という言葉を宿した祖父の意志を勝手ながら想像して、言葉にまとめてみることにしました。前置きが長くなりましたが、今回はそんなテーマのブログです。

焙煎はあくまで手段であり目的ではない

現在の当店を表すのに最適な漢字6文字といえば「珈琲焙煎問屋」です。(手前味噌ながらこの字面イケてますよね笑)意味するところは「珈琲(を)焙煎(する)問屋」です。つまり焙煎によって独自の味を生むことがアイデンティティー(=お客様が当店を選んでくださる主たるポイント)になるし、お客様からも理解していただきやすいと僕は認識しています。

ただ亡き祖父の指す「原点」は赤いミル。焙煎の機械(焙煎機)ではありません。これが意味するところは「ミルも焙煎機も道具はあくまで道具、すなわち目的を叶えるための手段である」と思っています。(じいちゃん、曲解だったらごめんね笑)

目的は「お客様に価値を提供すること」

では目的とはなにか。私たち(に限らずですが)が事業を営む目的とはなにか。なんのためにお商売をやっているの?という話です。

すごく抽象的に言うと「お客様にとって価値のあるものを提供するため」だと思います。かっこつけて言うと「ありがとうのやり取りをするために」この会社はあると思っています。

ミルでコーヒー豆を粉にすることで、お客様に「ありがとう」と喜んでいただける。焙煎機でコーヒーの生豆を焙煎することで、お客様に「ありがとう」と喜んでいただける。

もちろん一方通行ではありません。

私たちのコーヒーを受け取ってもらえることに「ありがとう」をお届けする。わざわざ足を運んでいただいたことに「ありがとう」をお届けする。もちろん対価としてお金を頂戴することへの「ありがとう」もあります。

そうやって色んな「ありがとう」の機会を増やしていくことが、私たちがコーヒーを焼いている目的だと思っています。

余談ですが、「ありがとう」の由来の話。自分の力や置かれた状況では手に入らないもの(=有ることが難しいもの)が「有り難い」になり、そういったモノを受け取るときに「ありがとう」という言葉になったそうです。

「お客様のために」という言葉の振れ幅

一方で「お客様の為に」みたいな言葉は便利すぎて、正直ちょっと危ういとも思っています。

便利過ぎるというのは、同じ言葉を使っていても、考え方によって結果が変わってしまう、という感覚です。平たく言うと、受動的な「お客様の為に」は「自分が犠牲になって相手にやってあげている精神」になるということです。これが一番悲しい展開です。「求められたらやります。言われればやります。」という姿勢はいわば「お客様のいいなり」で、そういったスタンスは“意外と”お客様には感謝されません。

お客様から求められることをただ受動的にこなすのではなく、お客様が喜んでくれる姿をイメージしながら能動的に動く。そういった意味であれば「お客様の為に」という言葉を使うのもありかもしれません。

お客様から求められるより前に、考えて動けているか?

お客様(というか自分以外)が何を考えているか、何を求めているか、そんなことは分かりません。根本的に分かるはずが無いと僕自身割り切っています。でも少しずつでも分かるようになりたいです。

だから色んなことを考えるのは楽しいです。
考えて行動した結果、お客様に喜んでもらえたら本当に嬉しいです。

能動的に考えて動く。

それが祖父にとっての原点であり、私たちにとっての原点。

能動的に考えて動く。

受け身なスタンスを取ったり、自分の置かれている環境を変化させないことは人間の本能として自然なことなので。(たしか心理学用語だと「現状維持バイアス」とか言いますよね。)だから能動的に動くことはエネルギーのいることです。

それでも、能動的に考えて動く。

そのことを意識づけるために、このミルがあるんだと僕は勝手に思っています。

いま、能動的に考えて動けているか?

ふとこのミルを見て、自分の原点を見つめ直すことがこれから幾度となくあるんだろうなと思いつつ、当店を見守る祖父の形見にスッと背筋が伸びる思いになります。

今は焙煎問屋として事業を営んでいますが、もし焙煎が誰でも手軽に美味しく出来る時代になったら、いや、なる前に、また新しい手段を見つけるのも面白い展開かもしれないですね。ミルから焙煎に移り変わったように。(思わせぶりですが今んとこノーアイデアです笑)

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