島第2弾、青ケ島道中記その4

(ようやく)
2日目朝5時。前日意外と深酒をせずに寝たので、目覚めはすっきりしていた。ただふつうに寒い。外に出るかどうか一瞬迷ったが、昨日降っていた雨は止んでおり空も見えそうなので、ヘッドライトを装着し外に出た。おばっちゃんは自慢の一眼レフで星空撮影をすることを今回の旅行の一大目的にしており、非常に気合が入っている。集落から一番近い神子の浦(みこのうら)展望台、島の最北端部にあるジョウマンという牧場地帯と2か所で見てみた。誰もいないから道に寝転んでも平気。ただ、そこそこ見えたが、この2か所はまだ集落の明かりが近かった気もする。
 空が少しずつ明るくなってきた。日の出をどこで見るか、ということが問題になるわけだが、今日は尾山展望公園という、外輪山上、大凸部の隣にある整備された展望台へと向かうことにした。この展望台は、大凸部より標高は低いものの負けず劣らず景色がよい。視界はこちらのほうが開けているかもしれない。
 日の出の時間を迎えたが、東の空は雲が厚く、太陽を見る事は出来なかった。残念。明日にかけることにしよう。しかし朝食まではまだ時間があるので、東台所(とうだいしょ)神社へ向かう。ここは、江戸時代に、失恋の腹いせに村人7人を殺傷したのち自殺したという、まさに「青ヶ島事件」の犯人であるところの「浅の助」という人物を祀った神社である。大凸部や尾山展望公園と同じ外輪山の上にあるが、うっそうとした木々に囲まれており、また社の壁が朱色で怖い。あと、今回は尾山展望公園からの遊歩道を通ってきたのだが、本当の参道は大凸部へ向かう道の方に別にあって、こちらは「ほぼ垂直な参道」である。案内とかに、ほぼ垂直な参道、通行はおススメしないと書いてある。しかも丸い石が敷き詰められており、階段というよりは、滑りやすい壁である。案内を見ただけの時は、んなことあれへんやろ~、と思っていたが実際行ってみるとその通りであった。この島の人は、勾配に対する感覚がマヒしているのだと感じた。ちょっとだけそちらの参道を下り、あたかも参道を登ってきたかのような写真だけ撮る。
 宿に戻って朝食をとる。となりの妙齢の女性たちが早速ビールをやっていた。豪快だ。思わず話しかけてしまう。聞くと、今日八丈島にヘリで戻って明日一人は八丈島マラソンに出るらしい。八丈島マラソンは、レース後に島寿司とか焼酎とか、島の体育館でおもてなしをしてくれる、非常に出てみたかったハーフマラソンの大会であり大変うらやましい。しかも天気もよさそうだし、理想的な行程の旅にうらやましくなる。もう1人のより妙齢で豪快な女性はやっぱり走らないらしい。我々は明日八丈島に向かうといったところ、「18時梁山泊(居酒屋の名前かな?)集合!」といきなり拉致されることが決定しかけたが、残念ながらその時間はもう飛行機の中だ。
 別に乗るわけではないが、ヘリを出迎えにヘリポートに向かうと、結構な人が集まっていた。どうやら、先生とかを中心に青ヶ島で生まれ育ったわけではない人も多く、ふるさとで年を越して年明け青ヶ島に戻ってくる、という人の迎えが多いようだ。あと、ただヘリが来るから見てる、という人もそこそこいるようだ。島の娯楽の少なさを感じさせる。そのへんの子供なんかも見に来ていた。と思ったら、その子供がこっちに近寄ってきて話しかけてくる。仮にAちゃんとするが、Aちゃんはめちゃめちゃ人懐こい子で、いきなり変顔してきたり、カバンの中身を見せてくれたりとか、八丈島に行くんだ、ということを教えてくれたりした。若いお母さんとも話ができてよかったが、聞くと島唯一の警察官の家族だったし、八丈島に行くんじゃなくて入島者をチェックする父ちゃんの仕事に家族でついてきてヘリを見てるだけであった。Aちゃんうそつき。しかしなんだか微笑ましい。
ヘリは近づいてきているはずだが全然見えない。しかし、一旦見つけるとどれだけ小さくても見えるから不思議である。音が来こ得てきて、遠くの空に見つけたと思ったら、あっという間に到着し、新しく来た妙齢の女性2人組などを降ろし、朝からビールの妙齢の女性2人組等を乗せ、数分でまたすぐに飛び立って行った。ちゃんとヘリを見るのは初めてだったので驚いたのだが、止まっている間もローターは動いていてその下を乗客が乗り降りしていた。身長3mくらいある人だったら首を持っていかれかねない。
さて、ヘリも見送り、ここからが青ヶ島2日目スタートである。どこを巡ろうかと観光案内マップを見ると、どうしても目に入ってくるのは通行止めの×印である。島のいたるところに×印がついている。3つある(あった)港・船着場のうち2つへ向かう道には×印がついているし、唯一残っている三宝港も2つあるアクセスルートのうち一つはつぶれてしまっている。これはどんな感じで×になっているのか、見に行かねばなるまい。なんでこんなに急に廃道づきだしたかというと、昨日夜、過去青ヶ島を訪れた人の旅行記等をネットで調べていたら「山さ行かねが」という廃道探索をしているヨッキれんという人のサイトをみつけ、2人ともすっかりあてられてしまっていたのである。
まずは一番近い、神子の浦への道へと向かう。島の北側にあり、展望台からは遠くに八丈島が見える。ここまでは道が通じている。だが虎ロープが張ってある先は道のわきから木々がせり出してきており、車は通れなくなっている。しかし、舗装はまだ生きており、ところどころゴミも落ちていて以外と人の気配がある。ぐんぐんと下っていくが、それにしても勾配が異常である。たとえ道幅が満足にあったとしても、昔の車がここを登れたのか、信じられない。カーブを二つ三つと順調に折れていき、実はこれ行こうと思えば行けるんじゃないか?と思ったあたりで先を行くおばっちゃんが完全に藪の中に消えていった。
別に墜落とかはしてないが、道がなくなってしまった。チキンふたりはここで探索終了。それでも神子の浦はだいぶ近く見えたし、この道を実際に使っていた頃の様子に思いを馳せることができてよい時間であった。
続いての×印は都道236号線。とその前に2度目の大凸部へと向かった。晴れてきており昨日より景色がよい。太平洋の真ん中んにぽつんと浮かぶ孤島の最高点に立っている、周りに自分より高い場所がない、という感じが非常に気持ちがよく、何時間でもいられそうである。と、写真を撮りまくっていたら、今日ヘリで来ていた妙齢の女性2人組が来た。しかしこの2人組、全然会話もせず、写真も各々撮っておりなんか楽しそうじゃない。おばっちゃんと私がはしゃぎまくっていたのと対照的である。おばっちゃんは早速「あの二人は変だ」と変な人認定していた。
大凸部から降りるとき、はじめてその女性の声を聞いた。彼女らの車が我々の車の出口をふさいじゃってるので、勝手に動かしてください、とのこと。車に鍵つけっぱなしの文化が初めて活きるときがきた。そして、おばっちゃんが初めてハンドルを握る機会となった。女性らの車をおばっちゃんが動かした。10m程度前進してバックしただけだが、おばっちゃんはずいぶん自信を深めたようだ。
さて、次こそ都道236号線へと向かう。船からも見えた、三宝港と集落を外輪山の外側を通って結ぶ、派手に崩落している道である。あれはとても通れるとは思えないが、どんな道で、どう崩壊しているかは見てみたい。3分くらいで通行止め地点に着いた。道が通っていた時は集落の入口だったのだろうが、現在は最果て感がすごい。しかし、いきどまりとは書いてあるが、柵はどけられているし、もう少し先までは進めそうなので、徒歩で進入してみることにした。この道は、三宝港と集落のメインルートなだけあって規格の高い2車線の道路である。進んで数十mは全く通行止めになる気配がなかった。が、その直後。カーブを曲がったその先には、とたんに1車線になっていて、山頂部から崖下海岸線近くまでコンクリートでばっちり固められた工事現場が見えてきた。1月いっぱい工事ということだったので、今頃は通れるようになっているかもしれない。しかしこれどうやって工事したんだろう。港付近の大崩落地点と比較すると、ここはまだまだ小規模なはずだが、間近で見るとそれでもとんでもない規模である。また、この道が通行止めになってから20年近くたつはずだが、この小規模な崩落が修復されたばかりということで、この道が復活するまでは途方もない道のりであるように思われる。
着々と×印の道を制覇していく。今度は大千代港に向かうため、流し坂のほうへと車を走らせる。大千代港は青ヶ島への就航率を高めるために三宝港の反対側に整備された港であるが、すぐにがけ崩れで港への道が流されもはや陸上からのアクセスが不能となっている悲しい港である。
途中、江戸時代の噴火・全島避難後に島民の帰還(還住)を果たした名主佐々木次郎太夫の屋敷跡地などを通る。名主屋敷なのに、湿気の溜りそうな薄暗い谷合にあったのが印象的であった。実は風とかを防げていい場所なのだろうか。
大千代港への分岐にほどなくして到着した。この先は通行止めではないものの不要の場合は通らないことと書かれているので、車を置いて徒歩で進む。通行止めとか、通行止めではないか通行をおすすめしないとか、そんな道が多すぎて素敵である。この先だれもいるはずがないのに、村内放送のスピーカーや村内電話がしっかり整備されていた。いくらかけてんだこれ。1㎞くらい進むとこれまた通行止めの柵があり、その先は崖崩れにより外輪山山頂部から海岸まで大きくえぐられ茶色い地面が露出していた。ふと脇を見ると慰霊碑があった。その崩落に巻き込まれて亡くなった3名を悼んでのものということ。この土砂崩れ、大千代港までのアクセス道路を流し去っただけではなく、人命も奪っていたとは。
通行止めの少し先へ進むと、がけ崩れの現場の本当にすぐ脇まで行くことができる。見ているだけで足がすくむ。さらに少し下ると、車道はバツンと途切れ仮設の階段になってしまった。それが藪のなかに消えていっている。上述の「山さ行かねが」ではさらに下って行ったようだが、命が惜しく我々はここで断念。とりあえず、眼下に遠く小さい大千代港を見ることはできた。あの港を実際に使うって、過酷すぎるわ。
時刻はようやくお昼である。やはり昼ごはんは地熱釜付近で食べたいということでカルデラ内部へと向かうことにする。ここまで、×印の道を探索してきたが、そうなると集落とカルデラ内部を結ぶ、平成流し坂トンネルができて用済みとなった流し坂旧道も通ってみたい。この道も、車通行不可、通るのはおすすめしませんと書いてある。おばっちゃんは平成流し坂トンネルを車で下り、私は流し坂を徒歩で降りる事にし、下で合流することにした。おばっちゃんは無事車を下まで持ってこれるだろうか。トンネルの中で対向車が来たら終了だな、知らんけど、と思いつつ旧道のほうに入っていく。道はところどころ落石があったり苔むしていたりと、使われなくなってしばらくたっているような様子である。トンネルが通る前はこんな細くて急な九十九折の道を通って港から集落へ向かっていたと思うと、当時の苦労がしのばれる。
旧道を降りきったが、おばっちゃんがいなかった。事故の二文字が頭をよぎる。と、LINEが入っていた。「だいぶ下りすぎてしまった」とのこと。なぜだ。ブレーキペダルが分からなくなってしまったのか。周りを見る余裕がなくて、合流地点が分からなかったのか。思いのほか結構下りたら、道のわきのやぶに突っ込んで止まっている車と脇に男がいた。実際にはギリ大丈夫だったが、止まれなくて突っ込んだのかと本当に思った。おばっちゃんは自信満々な顔をして「余裕でしょ」とか言っていたが、もうちょっと出やすいかたちで止めてほしかった。運転を交代し、地熱釜へ向かう。
さあ2日目のお昼である。 
(つづく)

よろしければサポートお願いします。いただいたサポートは創作環境の充実のために使わせていただきます。