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2020年を振り返る

2020年を振り返る

なんか、いろいろあったような何もやらなかったような2020年が終わった。考えてみれば人生で1年もマスクをする期間があるとは思わなかった。

こんな一年でも海馬が酒に浸かった俺のゴミのような記憶力では数年後には「なにがあったっけな〜」と忘れてしまうことうけあいなので、2020年あと5時間ほどでできる限り振り返ってみよう。

1月

スケジューラを見返してみると、9月(この時点では7月に計画していたか?)にやる芝居に向けて動き出していた。確かにこの頃、企画会議やスタッフとの打ち合わせを頻繁にやっていた気がする。結果的にはこれくらい早めに動いてスケジュールに余裕があったおかげで9月に公演が打てたのかもしれないし、打たざるをえなくなっていたのかもしれない。

そのほか今では考えづらいのは、いろんな人と飲みにいく予定ばっかり入っていたことだ。件名をみて失敗したことを思い出した飲み会もあるが、いい時代だった。「おでんアンドゲーム」なんて予定表に入ってるんだぜ。

2月

オーストラリアに妹に会いに行ったのが最大の思い出だ。気合の1週間有休をとった。この頃から今の職場で1週間くらい休むことに抵抗がなくなったという意味で節目の月であったといえよう(周囲はたまったものではなかったかもしれないが)。

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ギリギリのタイミングで行けてよかった。次に海外に行けるのはいつになるんだろう。

そのほかは引き続き9月の公演に向けたスカウト活動(という体の飲み会)に勤しんでいた。予定表を見るとオンライン英会話にも積極的に取り組んでいた。

3月

この頃から先行きが見えなくなってくる。2月のうちにオーストラリアに行っといてよかったね、と言ったりしていた気がする。なくなってしまったが6月の公演の顔合わせがあったり、9月の公演の準備はしていたりと、そこそこ動いてはいたようだ。3月には活動はだいぶストップさせられていた気がしたがそうでもなかったようだ。芝居も軒並み中止になったりしてたがそれでもやってたのは見にいったりしたし。あの状況でやったのは勇気があったよなあ。応援したくなった。

4月

緊急事態宣言。ジムにもいきづらくなり筋トレがストップする。6月の公演も中止になる。いっちょまえにあわてて食糧なんかを買い込んだ記憶がある。

仕事的にはリモートワークにならず結構平常通りだったので、日常生活の大部分は変わらなかったのだが、休みの日は出かけることができず、仕方がないので近くの荒川の堤防にしょっちゅう行っていた。春らしく景色は綺麗だったのが印象に残っている。

あとずっと家にいて暇だったので「妄想旅行記」を書いていたら、日経MJに取り上げられたりなんかもした。個人的には「会社員で劇作家」と名乗ったことが大きかった。

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そのほかやることがなさすぎて始めたのは、料理、オンライン飲み、動画編集、Youtubeデビューなど。zoomで稽古なんかをしたりもした。次の5月と合わせて何気にこれまでできなかったことができた2ヶ月でこれはこれで意味があった気がする。株では狼狽売りも身を以て経験した。

このころの自分のTwitterなんかをみるとやっぱり平常心は全く保ててなかったんだなと思う。落ち着くまで一度そういったのから離れるのも大事だし、慌てて発信してもいいことないね。

5月

自粛疲れする。こう書くと自分が全く辛抱きかない性格であることがわかる。今だから書くが、誰にも全く会わなければいいだろうとGW中の夜、衝動的に家の近くでレンタカーを借り、王将でテイクアウトの回鍋肉丼を買いSAで車中泊をし筑波山に登って太平洋を見に行ったりもした。なんだか誰にも見つからないようにこそこそ旅をするのも楽しかったな。久々の外出・山登りというのとその背徳感がよかったのだろうか。

あとは「ポストコロナ演劇の新芽を摘もう」という企画で動画を撮影し、Youtubeで公開すべくひたすら編集していた。学んだことは動画編集はクソ大変だということ。割に視聴回数は全く増えないということ。文章書いていた方がいいやと感じた。

6月〜7月

演劇では対面での稽古ができるようになる。なんとか9月の公演はできそうか??という気がしてくる。この辺りの時期、いつ公演を打つか打てるかは本当に運だった。しかしこの辺は「できるうちにやっとけ!」ということで稽古をやっていた気がする。やりづらい面もあったが、早めに公演の準備をしておいたのでこの辺りの期間、ある程度余裕を持ってできたのはよかった。

8月

毎年行っていた島旅行を中止する。まだ島は様子見な雰囲気がこの頃は漂っていた。かわりに越後湯沢に行きなぜか10km走ったり野山を歩き回るなど合宿のようなことをする。それはそれで楽しかったがやっぱり島に行きたかったなあ。

その思いは10月に果たすことになる。

9月

とにかく無事に公演を打つことができたということに尽きる。こんな時期だからこそ好き放題やろうと思い、好き放題できた。満足しているし、関係の皆様には感謝している。

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練習場所の確保や公演中止のリスクなど、よけいな困難も多かったが、体制やスケジュールに関して危機管理のノウハウが溜まったのはよかった。

また、文化庁の補助金をもらう手続きを初めて行うなど、今後団体として事務周りの経験を少し積めたのが進歩であった。

ちなみにどんな公演だったかは↓↓こちら↓↓。

出演してくれた村岡さんが劇の紹介のために書いてくれた文章は名文だと思うので、ここでも載せておきたい。

そして6連休今年2回目。休むことに全く抵抗がなくなっていく。

10月

流れで劇団美辞女の公演を手伝うことになる。5連休を取る。大型連休今年3回目。こんなことができるならサラリーマンも悪くない、と思える。このころは旅行なんかも気をつけていきましょう、ということで若干活気が戻ってきてていい季節だったなあ、なんて思う。だもんで夏乗れなかった新さるびあ丸に乗って、行けなかった島に行って山に登った。神津島は美しかった。

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山にも登ったりと、天気にめぐまれ割と自由に動き回れた一月だったかと思う。

11月

結局もう一本芝居に出ることにする。なんだかんだで、2019年以前とほとんど変わらない本数に出れてありがたい。この辺が変わったようで変わらないような1年だったなあという印象に繋がっている。あと赤羽から川口に引っ越した。一度歩いて荒川を越える橋を渡ったのだが、なんか歩いて橋を渡っていると都落ち感がはんぱなく、東国へ流される罪人のような気持ちになり自然と歩調がとぼとぼとしてしまった。歩いて渡るもんじゃないな、次からは京浜東北線で越えようと誓った。

12月

引越してからの新生活が落ち着いてきた。これまでになく住環境には力を入れたので、家が快適空間になっているのがとても良い。芝居については台本を書く会を再開し、次に向かって動き始められた。あと1月の公演の準備をしている。

そんな悪い一年でもなかった

振り返ってみると、変わらないことは変わらずできて、こんな状況にでもならなきゃやらないような新しいことも始められて、案外悪くなかったんじゃないか、という気がする。恵まれていたのかもしれない。

来年は

来年は何をしようか。今年少し手をつけ始めたが、芝居をやる体制をもっと整えるのもいいし、定期的に公演を打っては行きたいし、行けなかった場所を旅もしたい。ことばにしなきゃ実現しないからね、年明けにでもやりたいことをリストアップしようかな。

良いお年を。

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