特別な時間が始まるぜ①


※この記事は「HIKARU UTADA SCIENCE FICTION TOUR 2024」の微ネタバレを含みます。全公演が終了していますが、円盤購入予定などある方はご注意下さい!
ちなみにライブレポートって感じではないので、それ系だと思って読まれる方もご注意ください!


思春期の真っただ中に出会い、自己嫌悪に苦しむ私に許しをくれた音楽がある。その仕掛け人が、私の社会人化直前の今、日本に来てライブをするらしい。これは最高の卒業祝いだということで、去年の冬に応募した。見事2人分のチケットが当たり、妹と行くことにしている。
事前の通販でツアーグッズを手に入れておいたから、準備は万端だ。
人生初のライブで、宇多田ヒカルの歌を聴く。間違いなくこの八月最大のイベントだし、私の人生のエンドロールに流す音楽を選べるなら、きっとこの日に聞いたものをそのまま上映するだろう。忘れられない一日になる。たくさんの刺激をそのまま崩さずに持ち帰れるように、鼓膜と心をとびきり柔く幼くしておきたい。


はじめ、妹と二人でライブに行くつもりはなかった。
というより、誰を誘うこともなしに、ひとりで行くつもりだった。自分が好きな人に会うだけだから、誰かと行く必要なんてないし、人を気遣うのも疲れるし、一人の方が集中できる。そういうことにして、チケット応募の際、ツアーの各会場に一枚ずつ申し込んだ。

しかしその後、小さな願掛けとして、会場が家から一番近くて知り合いを誘いやすいこの公演のみ、二名の応募に変更してみた。
もしこれが当たったら、誰かを誘わないといけなくなる。積極的に人と行こうというつもりじゃないけど、ただ運命がこの公演を選んで持ってきたその時だけは、私も人を誘う勇気を出してみようという願掛けだった。
私は孤独脱却のきっかけを得ようとして、時々こういうことをする。たいていは失敗に終わるが、宇多田ヒカルの字面にはさすがの運命も惹かれたのだろう。奇跡的に今回は願掛けが成功した。そして私は、二枚のチケットを握りしめて、誰かを誘わなければ一万数千円の損失という、自ら敷いた背水の陣に入った。


誰かを誘わねばとなって、思いついた候補は二人だった。一人は妹で、もう一人はバイト先の先輩だ。というか、私が連絡先を持っていて、誘ったら来てくれる可能性のある人がその二人しかいなかった。

誘う難易度で言ったら、先輩の方が難しいに決まっている。音楽をよく聞くとは言っていたけれど、具体的な趣味は知らないし、知りたいからといって何の脈絡もなく聞けない。要はそんなに親しくない。そして、仮に趣味があっていたとしても、バイト先で少し話すくらいの後輩から急にライブに誘われて、行くと答える人がどれほどいるのか。たぶん、なんで俺?と思うだろう。

しかし、私は当時、難しさをわかったうえで、先輩を誘ってみようという気になっていた。
というのも、私はその月でバイト先を辞めることが予め決まっていて、何もしなければこのまま縁が切れてしまうという時だったのだ。
そこまで仲良くはなく、少し話す程度の先輩でも、飢えた私にとっては荒野に芽生えた一輪の花。まだまだ低い関係値が、友達ゼロ人を一人、二人と増やしていく生活の、わずかな呼び水に見えていた。
再び他人まで遠く離れていきそうな先輩を繋ぎ止めるため、ライブに一緒に行くという重いイベントを用いるのは、だいぶ荒療治になる。それでも、ピンチが重なったこの時だけは、唯一残された起死回生の手段に思えた。

そして、本当に都合のいいことに、先輩にバイトを辞めることを伝えたとき、送別会としてカラオケでも行くかと向こうから誘ってくれた。絶好のチャンスだ。音楽の趣味も探ることができるし、たまたまめちゃくちゃうまくいったら、会話の中で自然にライブに誘うこともできるかもしれない。


その後、予定を合わせ、バイトを辞めた翌月、カラオケに行った。結果は大失敗だった。

はじめはよかった。先輩の素敵な歌声を聞くのはとても心地よかったし、私の歌も褒めてくれた。私が入れた曲の歌手に反応して、俺はこれが好きと言って、知ってる曲を入れてくれた。合間の喋って過ごす時間も楽しかった。

しかし、やがて気分が変わってきた。
座っているソファーの生地が端の方からめくれていたり、冷えたコップから結露した水滴が垂れて机に円状の跡を作っていたりするのが、どうにも気になりだして、ひとつひとつ隠すように直した。それでも気が済まなくて、視線は下がったまま。
違和感が消えないのだ。私が、普通の友達というものを演じられていないから。

人を傍観する立場を選んで、長い月日がたっていた。世間の渦の外にいれば、自分の身振り手振りがどのように見られるかを、そこまで恐れずに生きていられた。自分の気持ちをどんなふうに表情や行動に示しても良い。自分に正直でいられた。
でも、そうやって楽をしている時間が長すぎて、「普通」の中に自分を押し込む筋力がすっかり衰えていた。

歌を軽く褒めあっていたはずが、私の褒め言葉だけ本気度が高くて引かれる。今日誘ってくれてありがとう、楽しいというのを何回も言ってしまった。そういうのとか「普段ぼっちだから」とかは言わなくていいんだよ。「助けてください」って言っているのと一緒だ。みっともない。

テンションが暴走する。身動きもヘンだ。妙なところがたくさん。それにツッコんでくれても、「どう直せばいいんだろう」という焦りが先に来て、すぱっと打ち返せない。
先輩が今まで使ってきた定番であろうくだり、冗談がすべて私の上を滑っていく。自分だけがおかしい。それがわかっているのに軌道修正も効かない。なんでこんな風になる?男同士の友情というのはもっと明るくて調子が良いものだとなんとなく知っていて、それに合わせるつもりで来たのに、本当はそんなの実践したことない暗くて重い人間だからうまくできなかった。

何処にでもあって普通だと思っていた「カラオケを楽しむ男子大学生二人組」という風景に、私という異分子がいつまでも溶け込めずにいる様子が時間がたてばたつほど、先輩の硬直した口角や頻繁に訪れる沈黙でちくちく実感されてきた。ずっと苦しかった。謝られるのも困るだろうけど、それでも謝りたかった。皮膚の神経細胞が罪の意識に刺されて、痛みに冷汗をかいていた。

終わった後の帰り道は、ライブに誘うことなんかすっかり頭から抜けていて、何を話していいのかわからず、道が分かれるところまででたくさん変なことを言った気がする。先輩の頬は愛想笑いをしすぎて筋肉痛になっているだろう。本当に申し訳ない。私なんかと関わらせてしまって。


自分で言うのもなんだが、私は小さい頃から変な子で、周りの人から好かれる行動のつもりで、意味不明なことばかりして迷惑をかけていた。本当に、時代や地域によってはいじめられたり怒られたりしそうなくらいだったが、周りの子はいつも優しく、そんなことはしなかった。私のしたいようにさせてくれていた。
たぶん、何もしなくてもそのうち気づくだろうから、わざわざ指摘して悲しませる必要はない、みたいなことだと思う。 

世の中は待ってくれたけれど、私は鈍感で、長いこと気づかないまま、みんなが許すのをいいことに好き勝手していた。それでも誰も急かさなかった。

結局、私が「個性」を自覚したのは、思春期を迎えたころだった。きっかけは周りの子たちで、みんな自分の成長痛を耐えるのに忙しくなり、仲いい子以外に優しくするような余裕はなくなった。私の今まで通りの行動に、みんなの眼が少しだけ冷たく向けられた。それでようやく、私は好かれていたんじゃなく、見逃されていただけなんだ、ということがわかった。

それからは、迷惑をかけないように「普通」の振る舞いをしようとした。しかし、私の自我は間違った前提をもとにしばらく成長したあとだったから、どこから手をつけて、どういう形に治せばいいのかわからなかった。

友達はだいたい女の子で、男の子と話すときはいつも緊張する。なのにみんな結構話しかけてくるから、ちょっと困りつつ、モテてるんかと思っちゃう。下手な上目遣いをしてみたりする。
かわいい女の子が出てくるアニメが好き。癒されるから。クリアファイルを持ってるところを見られると、なぜか推しを聞かれるけど、どの子が特別好きとかはなくて、適当に答える。
体育や水泳で恒例の、半分に仕切っただけの教室で着替える時間が恥ずかしくて、トイレに体操着を持って行って着替えてたら、男の子にからかわれた。「別に向こうから見えねぇよ、気にしすぎだろ」って。

などなど。私にとって自然な仕草は、すべて空振りしていたことがわかった。しかし、そこを具体的にどうしたら「普通の男の子」になるかを知らなくて、演じることも難しかった。


結果、先輩は誘えなかった。カラオケで言い出せなかったし、その後私から何か連絡をすることも、向こうからされることもなかった。
本当に最悪だ。この年になって、こんなに人と関わるのが下手な奴なんていない。もっと前からたくさん苦労しておけばよかったのに。失敗が許される時期を、無駄に委縮して孤独と怠惰にまみれて過ごした末に、出来上がったのは今更誰も触れたがらないような無能人間。そんな奴が、突然友達を作ろうなんて、思い上がりも甚だしい。


もともと立ち向かうよりは逃げる性質だった。
悪目立ちする自分の「個性」に向き合ったとき、その性質が作用した。
今すぐ修正する。まるきり覆い隠す。
不器用な自分にはどちらも難しいと思い知って、誰にも見られないところに行きたくなった。

まず男子と話さなくなって、すぐに女子とも疎遠になった。
様々に向けられる期待のうち、裏切らないで済むのはどれなのかわからない。「男友達」も「女友達」もうまくこなせる気がしない。
だから、誰にも期待されないようになりたかった。

ひとりはとても楽だった。人に迷惑をかけることが少なくなって、無力な自分を裁判にかけずに放っておけるようになった。
これからはこういう風に生きていこうと思った。

しばらくそうやって暮らして、友達との話し方も忘れたころに、お腹がさみしく鳴りはじめた。




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