【要約】世界最高の人生哲学 老子
君は、老子という書を知っているかね?
老子は紀元前6世紀ごろに中国で書かれた思想書で、中国三大思想『儒教・仏教・道教』のうち
道教の思想に大きく影響を与えた書物である。
老子は、『道(タオ)』と呼ばれる智慧を通じて、人々が謙虚で柔軟、そして無為自然な生き方をすることで、幸せな人生を実現できると説いている。
本書は老子の教えの一部を取り上げて、それを生かすことでこのストレスや苦悩の多い世の中を生きていく方法例を書いている。
その中から、まずは老子の中心概念である『道(タオ)』について書く。
『道(タオ)』からはじまる老子の思想
老子を理解するためにはまず、『道(タオ)』という概念を理解する必要がある。
道とは、万物の存在を支配する根本的原理のことである。
根源にある不変的な存在ともいえる。
自然の摂理や、流れともいう。
この説明でお分かり頂けたと思うので次に進む。
…訳にはいかない。こんな説明では、抽象的過ぎて分からないと思われただろう。
私も、全く同じで、道とは何か具体的には全く分からない。
しかし、著者によるとこれが道だと具体的に説明できるものは道ではないという。
道とは
形はないがあるもの。捉えどころがないもの
である。
分かっちゃったら、それは道ではない。
つまり、分からないことが正解なのだ。
なんだかハッキリは分からないけど、私達の世界には道と言われる世界を支配している真理のようなものがあることを、インストールすることから老子の思想は始まる。
無為自然に、ありのままに
老子の思想は、突き詰めれば『道』の導くままに生きることだ。しかし、このままだと某有名SF映画のセリフみたいな印象しか残らない。
そんな私達のために、老子はもう少し分かりやすく道とは何かを示してくれている。
その1つが『無為自然』という概念である。
無為自然とは、余計な企みや無理は、長続きしないからやめて、ありのままの姿でいることが大切であるという考え方のこと。
人は、常になにか考えて行動している。
「こうしたらもっと幸せになれる」とか
「誰々のことをこんな風にして邪魔してやろう」
とか。
そうではなく
自然の流れに身を任せて、あるがままに行動しなさいと老子はいう。
ここでいう『自然』とは、自然体という意味。つまり、ありのままの姿、ア○雪レリゴーである。
私がスポーツをしているとき、極稀にこんな体験をしたことがある。
頭で考えなくても勝手に体がスムーズに動いて、結果、最高のパフォーマンスがでる不思議な経験だ。
たしかにこのような時には、相手に勝ってやろうとか、うまいことやってやろうという感情は湧いてきていない気がする。
このような心もちを、生きる事すべてにおいて考えなさいと、老子は言っている。
そう、私は解釈した。
上善は水の如し
さらに老子は
無為自然な生き方を『水』に例えてくれている。
『上善如水』
最も良い生き方とは
水のように生きることであるという。
『謙虚、柔軟、柔弱、無為、質朴、無心』が老子のいう『道』に沿った良い生き方であり
水はこれらの性質を兼ね備えた生き方の見本であるというのだ。
水は、高いところから低いところへと流れ、障害物を避けながら自然に進む。
これは、柔軟であるがゆえにできることだ。
また
水は長い年月をかけて、岩を削り形を変えてしまうほどの力を持つ。
水のような柔弱性がむしろ剛強に勝つのだ。
さらに
水は豊かさをもたらし、生命をささえている。
水がないと生物は生きることができない。
しかし、水はそのことを大袈裟に主張しない。
広大な謙虚さをもっている。
確かに
こんな生き方が出来たら、日々の争いやストレスが減って暮らしやすくなるであろうと想像出来る。
私も、なるべく水のように謙虚に生きたいと思う。
ちなみに『上善如水』は、私も大好きな日本酒の銘柄でもある。
こちらも柔弱性をもちながら、飲みすぎるとどんな屈強な人でも倒しうる力を持つ。
私は、だいたい、上善如水に倒されて下のようになっている。
謙虚さが足りない証拠である。
老子には、『道』という大いなる存在を認識し、『道』に沿った無為自然な生き方をすることの大切さが書かれている。
無為自然とは、謙虚であり、柔軟であり、質素であり、無心である水のような生き方のことだ。
老子の教えは、現代でも多くの人々に支持されていいる。
私も本書を読んで、水のように謙虚で柔軟な姿勢を持ち、自然と調和した生き方を心がけていきたいと思った。