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令和7年初春歌舞伎公演
2025/01/26所見。敬称略。新国立劇場中劇場。
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菊之助-時蔵でここまで満足させられるとは。絵に描いたような役者の時蔵に対して、現代人的な造型の菊之助。正に新時代が開化した、その象徴のような舞台。一味斎屋敷の時蔵は、その肚が見えずただの明かしにしかならないが、全体として、居方がよく、節もいい。毛谷村では、声を3段階にして使っているんだろうが、六助とわかってからの妻・お園が秀逸。あれができるのは今ならではなのかもしれない。対して六助はひたすらに優しい。そして現代人的である。現代人と同じように表情豊かに喜び、悲しみ、訝しみ、怒る。本当に時代物の中にいていいのだろうか、と心配にさえなるくらいだが、これが菊之助というものだった。
大詰の菊五郎劇団の勢揃いを観て、音羽屋の益々の繁栄を願う。孫世代を見つめる菊五郎の目がなんとも愛おしい。
又五郎・吉弥が秀逸。又五郎は、光秀の亡霊の方がほとんど聴き取れなかったが(鳴物の影響)、一味斎はよく仕上がっていた。時間は短かったが印象深い。吉弥は一味斎屋敷の出がよい。毛谷村の婆の重みは欠けるが、屋敷の方で十分。
彦三郎・萬太郎・萬次郎よし。彦三郎の京極内匠は全体として極悪に仕上がる。墓所のやるせなさは、瓢箪棚で父霊とのやりとりをややなあなあにしたためであろう。あそこでもう少し悪にしておくべきだった。萬太郎は瓢箪棚の友平がよい。節がよく筋がある。萬次郎は屋敷の老女福栄。しっかりとした気品で、妹お菊とのやりとりをこなす。
葵太夫の舞台に融和した竹本が優品。竹本を竹本と気づかせない、悪目立ちしない、舞台空間の中に内包されつつ、物語をしっかりと回していく、そんな竹本だ。葵太夫は久しぶりだったが、高く評価される所以を感じた。
入れ事は瓢箪棚でのギリギリダンス。
恒例の手拭いまきは、花道までやってきた時蔵から。国立劇場特製の「立・巳」の手拭い。
新国立・歌舞伎の仮設花道、ありゃあ麻薬。去年9月に2回、当月初春、と仮設花道の脇に座ったが、本当に役者のそばなので、感動する。生身の役者を感じられ、細かい所作や居方、息遣い、衣装も堪能できる。役者と視線を共有でき、また役者の興奮と躍動を共有できる。これほど役者に近い席はない。当月は、花道下手側に座ったが、役者を後ろから観るというのもおもしろいし、役者が後ろを通るという違和感もおもしろい。
公演詳細は以下。
https://www.ntj.jac.go.jp/schedule/kokuritsu_l/2024/0701/