見出し画像

誰もが生きやすい社会って?

誰もが生きやすい社会って?
最近よく見かける言葉に、「誰もが生きやすい社会」という言葉がある。
私はその言葉に大いなる疑問を持っている。
政治家も含めて世の中が「ジェンダー」「sdgs」とか叫べば叫ぶほど、背を向けたくなる。
世の中は兎角「ものを見て動く」仕組みであるが、それが強すぎて視覚障害者として生きる私ははっきりとした「生きづらさ」を感じてもいる。
そしてそれは時代を追うごとに強まっているように思う。
もし本当に誰もが取り残されることない社会を目指すのであれば生きづらさが減らなければならないとさえ考える。
先日久しぶりに都内でセミナーへ参加したのだが正直ものすごく怖かった。
目の見えない人がいきなり現れたら関係者も参加者も「どう対応したらいいのかわからない」というのが本音としてわかってしまう自分がそこにいたのである。
オンラインセミナーだと私が自ら「視覚障害者であること」を名乗らない限り誰にもわからない。
それはいつの間にか私の中で「安心材料」となってしまったことにも気づいた。
だからこそ思う。私は一体世の中に「何を発信すべき?」「誰もが生きやすい社会を目指して活動する人は何を求める?」と。
自分でできることは自分でするというのをずっとやってきた。
それでもなを今もって自分の生き方に自信を持てない。
この春私は失うものを全て失った。
そうした中での悔しさは拭えず独立した手の私を「不安と恐怖に」陥れてしまうことも思い知った。
「専門家」にそうダンするということは今はできない。
それよりも今私がネットであれ、リアルであれ、何を発信すべきなのかを考える。
この投稿を見てくださる方で「誰もが生きやすい社会を目指して活動」されている方がおられたらどんな社会になるべきかを教えていただきながら私たちが発信すべきことを見つけていけるようにと思う緑のひの昼下がりでした。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?