通じるか、通じないか、は言葉の問題ではない。
意思疎通を図る、ということは、本当に難しいと考えさせられる。それは、言語の壁によるもの、だけではない。
いま、とあるトラブルを解決する為に、ポーランド人と英語でやりとり、日本人と日本語でやりとり、を行っているが、どちらのやりとりでも感じる共通の壁は、「考え方(受け止め方)の違い」に行きつく。そして、私自身が欲していることをどれだけ具体的に表現できているのか、という問題にも。
自分自身の要求を、他人も理解できるように言葉に落とし込んでいく作業は、簡単なようで、簡単でない。
考え方の違いだけでなく、もちろん、どれだけ正しくコトバとしてアウトプットできているか?も重要。。。英語でのやりとりがスムースでないことは、自身の英語力の限界により納得性は高い。が、一方で、日本語でのやりとりが上手くいかないことは、めちゃくちゃストレスを感じる。
「入院の可能性があるか知りたいので、入院設備があるのか教えてください。」と日本語で質問したら、「入院するかどうかは医師の判断になるので、まずは受診してください」との返答。
私が知りたかったのは、「入院設備の有無」である。
「医師の判断がどうなるのか?」は、聞いていない。
が、「入院の可能性はありますか?」と受け取られても致し方ないアウトプットをしてしまったと反省する。。。
とある不安があることを人から聞いて、ひとつの情報として、その取り纏めと思われる人に報告した。で、、、そこから始まったのは、「誰が言ったのか?」という発言者探し。そして、"文句・悪口"を言うのはあの人に違いない、、、、、という方向に。
不安のもとを解消できないか、と思っての行動だったはずが、とんだことになってしまった。。。。。不安のもとは解消されることはなく、「あの人が悪口を言っている」という余計な不安を増やしてしまった。。。
そして、そのうちその"あの人"は、私にすり替わるのだろう。(´・ω・`)
通じるか、通じないか。
それは、すべて受け手にゆだねられること。(受け手がどう受け止めたかを、発した側が正しく理解することも難しいのだけれど。)
お互いをよく理解するために、コミュニケーションロスを減らすために、出来るだけ言語的な問題はクリアになっていた方がいいのは事実だ。とはいえ、どれだけ正しい文法で、正しいセンテンスで語れたとしても、通じないものは通じない。逆に、単語を並べただけであっても、すっと理解ができることだってある。
そんなことを考えながら、「トラブルに見舞われると色々勉強になるわーーー。( *´艸`)」と気を紛らわせている次第。。。
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