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ありのままの自分を自由に語れること、って、大事だと思うのです。それは、自分を解放するという意味でも、社会がより寛容になるという意味でも。

最近の小学校では、2分の1成人式(つまり10歳)ってイベントを行うのが流行りらしい。

それにまつわるHuffington postの投稿。「子どもの心に配慮した根拠ある教育を」http://www.huffingtonpost.jp/yasumi-morito/education-with-consideration-for-childrens-mind_b_14349714.html

学校には、本当に様々な子どもたちが通っています。実の両親でなく親族や里親、養親に育てられていたり、婚外子だったりステップファミリーだったりして、幼い頃の写真がなかったり名前の由来がわからないことも。また、ネグレクトやもっと能動的な虐待を受けている場合、親に感謝はできないでしょう。
小児科医という仕事は、ときに家庭全体をみる必要があります。特に私が新生児科医だったとき、上記のような様々な家庭事情を目の当たりにし、自分はなんと世間知らずだったのかと思いました。学校の先生たちや保護者たちの中にも、以前の私と同じような人がいるのかもしれません。学童の両親は揃っていて、虐待はなく、子どもは愛に包まれて育てられた結果、養育者に対する感謝を持っているものだと......。早急に見直してもらいたいと思っています。

2分の1成人式で、どのようなことを子供たちが求められているのか、現場を知らないので憶測でしか書けないのだけれども。。。

人生を振り返り、感謝するという行為が、10歳というタイミングで適切なのかどうかは分かりません。でも、"集団の中の個人(一部)"としての振舞いを強要されがちな日本社会において、自分自身をしっかりとみつめる機会が幼い頃からあるのは、良いことじゃないかな、と個人的には考えます。

そして、ありのままの自分を他者に発信し、他者もまた、それをそのまま丸っと受け止めるような社会になることが理想だと思うのです。比較をせず、そんな人生もあるんだな、と丸っと受け止める。

ハフポスの記事は、(今の日本の環境においては)筆者がそう心配する気持ちは分からなくもないのですが、前提として、「親が揃っていなければ幸せではない、実の両親でなければいけない、婚外子やステップファミリーであることは、世間に公表してはならない」という歪んだ価値観が背景にありそうなことが、大変気になります。

一般的な公立の小学校に行けば、よっぽど画一化された地域でない限り、さまざまな背景の家族がいることが、普通なはずです。サラリーマンの子供もいれば、自営業の子供もいる。大家族もいれば、片親もいたり。大学を出て医者になることや大企業に勤めることが人生のゴールでなく、高校卒業後に家業を継ぐことで素晴らしい人生が開ける場合もあれば、起業することで毎日が豊かに過ごせる人もいるでしょう。

小さい頃から、いろんな選択肢に触れること、そしてそれを丸っと受け止めることが当たり前になっていけば、もっともっと世の中が寛容になっていくんじゃないかなぁ。。。。。そして、何より、自分自身が生きやすくなるんじゃないかなぁ。。。。。

そんなわけで、2分の1成人式とやらで、無理やりキラキラした振り返りを発表させることには違和感がありますが、それぞれの子供たちの、ありのままの個性豊かな10年を振り返り、お互いにシェアする、ということであれば、私はとっても良い企画なんじゃないかと思う。

似たり寄ったりの両親への決まり文句、、、みたいなのをタダ演技掛かった表現で発表するだけだったら、子供たちが変な洗脳されるだけになっちゃうので、ない方がマシでしょうね。"両親が揃ってないと不幸せ"という歪んだ価値観の植え付けになりかねない。



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