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【⑦】41歳で起業するボクの半生とリアル
島根コーポレーション、ボクが入社したときは従業員わずか10名程度だった。
豊島区の小さな駅から徒歩5分の3階建てビルにあった。
島根社長・専務・役員3名と営業マンが4名、経理1名くらいだったと思う。
営業なんて初めてで、社会人ほぼ1年生だ。
よくこんなボクを雇ってくれたと思う。
名刺の渡し方からテレアポの仕方やクライアント折衝からクレーム対応まで、そして華やかな銀座赤坂六本木の夜の世界を経験させて貰った。
経験は財産だ。
今でも島根社長と専務には感謝している。
専務にも可愛がって貰った。
専務はアントニオ猪木に似ていてアゴが出ていた。
酔っぱらうとめんどくさくなり、「なぁ、今日は〇〇駅で飲もうよ~!タクシー代あげるからさ~!」といつもボクを自分の住んでるど田舎の駅まで連れ出そうとしてくる。
タクシー代くれるなら良いですよ!と騙されてど田舎駅まで行ったのに、終電が無くなってタクシー代もくれず放置されたことも今では良い思い出だ。
社長・専務以外にもドンドン中途社員が増えていき、辞めるころには50人くらいになっていた。
みんな営業も事務スタッフも仲が良く、全盛期には毎日のように飲み歩いていた。
部活動のような日々で仕事が嫌だなぁと感じたことは無かった。
毎年昇給はしていたがそこは中小企業で満足のいく年収ではなかった。
たしか300万くらいだった気がする。
楽しい日々だったがとうとう給与への不満が限界になり辞表を出した。
島根社長は将来的に稼げれば良いじゃないか、と幹部になれるまでもう少し頑張れ的なことを言ってくれ留意してくれたが、
あと5年も10年も15年も安月給で働くのは限界だった。
島根社長はど田舎県の出身で豪快豪傑で接待交際費を毎月500万円くらい使っていたが社員に対しての給与水準などはどケチだった。
ボクは辞めた。
そして転職ではなく縁故で取引先だったイーグルファクトリーへ入社してしまった。
イーグルファクトリーに行った選択はその後すぐに後悔をすることになった。