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第8週 もう一度「喜び」に火をつける

ハリウッド映画やテレビ番組のライター・ディレクターとして活躍したジュリア・キャメロンが約30年前に書いた『ずっとやりたかったことを、やりなさい)』の最新作『いくつになっても、「ずっとやりたかったこと」をやりなさい。』を読んで、12週間のワークに挑戦しています。

第8週 もう一度「喜び」に火をつけるの章では、「過去に放棄したことがあるかどうかにかかわらず、今は、真の喜びをもたらすかもしれないそれらの情熱-ひらめき-を再訪する素晴らしい時期である。」とありました。

実は出産前に志していたことがありました。なぜそれを志したのかという理由を改めて思い返すと、結婚してまだ子供がいなかったときに転職活動をした経験があるのですが、行く先々で「ご結婚されてますが、お子さんが出来たら仕事はどうされますか?」と尋ねられたことがきっかけでした。

いまの時代ではあれば、そんな質問をすること自体が問題となりそうですが、当時は育児休業制度が出来たばかりで、いまのように育児休業給付金等もありませんでしたので、育休は取れるけど無収入になってしまうため、出産前に退職する人が多かったんです。

会社としても、採用したものの数年で妊娠・出産となり辞められて大変ということで、当たり前のように聞かれる質問でした。

そんな状況でしたので、何か専門的な知識を身に付ければ、出産後も仕事を続けたいという意志を認めてもらえるかもしれないし、いったん退職したとしても、子育てが落ち着いた頃に再就職することも可能になるのではないかと考え、経理に関する専門的な知識を学ぶために会計大学院を受験することにしました。

一応母校でもありましたので、なんとか研究計画書らしきものを完成させて出願したところ、書類審査をパスして面接試験に進むことに。面接試験会場で出会った20代の大手監査法人に勤める女性とは、その後も連絡を取り合ったのですが、日商簿記2級の資格しか持たない事務職の私は不合格となり、既に他大学の大学院を卒業して、会計士ではないものの大手監査法人に勤めていた彼女は無事合格していました。

いま考えれば、研究テーマの設定も曖昧でしたし、本当にそのことについて研究し、修士論文を作成したいのかどうかもはっきりしていませんでしたので、落ちて当然だったと思います。でも、当時は職歴や資格で見劣りするから不合格だったんだ、やはり何かしらアピールできる資格を取得しなければと思い込み、今度は日商簿記1級を目指すことにしました。

2級までは独学で取得しましたが、さすがに合格率10%前後の試験となると、独学では難しいと思い、平日夜や週末に専門学校に通い始めました。仕事をしながらの受験勉強は大変でしたが、まだ子供もいませんでしたし、この時に学ぶことの楽しさに目覚めたので、それほど苦痛には感じていませんでした。

初挑戦のときは4点足りずに不合格となりましたが、次の試験ではギリギリ合格することが出来たので、更なるステップアップを目指し、税理士試験に挑戦することにしました。

日商簿記1級に合格後すぐに税理士試験の簿記論と財務諸表論を受講したので、かなりアドバンテージがあり、翌年の税理士試験では2科目同時に合格することが出来たのですが、実は税理士試験の時は妊娠中でした。試験直後に本格的なつわりが来て、もう少し早かったら受験どころではなかったので本当にラッキーでした。

ただ、税理士試験はあと3科目合格しないと税理士登録が出来ず、その前に出産があったので、しばらく受験勉強はおあずけとなってしまいました。

その後、子供を一時保育に預けながら、受験勉強を再開しましたが、勉強に集中できず2年連続不合格となり、いったん仕事を始めてしまったこともあって、税理士受験は後回しとなっていきました。

更に、40代は不登校となってしまった息子の対応に追われ、自分のやりたいことについて考えたり実行したりする余裕は全くありませんでした。でも、息子がここなら通えると自ら選んだ通信制の高校に進学してからは、人生でやり残したこと(私の場合は国家資格取得と大学院進学)に再び挑戦したいという気持ちが沸いてきました。

そして、税理士は断念しましたが、別の国家資格である社会保険労務士に合格し、この度もう一つの目標である大学院にも合格することが出来て、来年春からは大学院で学ぶことになりました。

若い頃に失敗して諦めかけていたことに、この年齢になって挑戦できるというのは「喜び」以外の何物でもありません。応援してくれた家族や職場の上司・同僚に感謝の気持ちでいっぱいです。