本と共に

『思考の整理術』と言う本を読み終え、次に何を読もうかと思っていた矢先に、お友達(ジュエリーM)の@武聖子さんがお勧してくれた『総理の夫』勧めてくれたので先日購入し、まだまだ6分の1ほど読んだところなのです。

購入した日は少しも読む暇がないほどの忙しさで、手に取ることもできないまま12時を過ぎてしまい、ようやく眠ったのも夜中の1時になっていました。

今月から末っ子(中1)は、午前組と午後組に分けての登校が始まり。新しい生活スタイルが生まれ。他のですが、夜更かしが抜けてなく毎日ねむそうです。もちろん私も昼夜逆転まで行かないまでも、いつも寝るのが遅くなってしまう始末でなんとも複雑な気持ちです。

学校に行ってくれる時間を利用して、やっと本を読み始めるに至るつもりだったのですが、彼が学校へ行ったら行ったで、今までしてきた断捨離の後始末や、部屋の模様替え(末っ子の野球部屋ならぬ道具を押されメル場所作りなどなど)をやったり、断捨離して洋服がないからバーゲンへ、いそいそ出かけたりと、なかなか思うように本を読めてないのは変わってない現状の中あることに気がつきました。

私よく思うんですが、読み始めの時から「おもしろい」と感じられないものが多いのです。良いか悪いかではなくですよ。

本を読まれる方は、みんなそうなのか?それとも始まりからワクワクするのかなぁ?ときになりました。

始まりは暗闇からの出発のような感触で、おもしろいのか、楽しいのか分からず…「面白くないなぁ」と思いながら読んでいるのですが、その直後に突然、ジワジワとおもしろく感じできてくることも多々起こったりもするのも楽しみポイントだけど、なかなかその波がこない(自分がすきなパターンじゃない)こともあります。

次へ。次へ。と気持ちが前のめりになるその感覚がたまらなく好きで、読み終えた時に残る余韻にも浸れるような物語りが好きな人だと気がついたんです。
今さらですか?って自分にも突っこんでしまいました。

私は、壮大な物語りも大好きなんですが、成功論理の本も読んだりもす。ひととなりに惚れることで、その人が発することを本で読み没頭してしまうことも多々あります。

幼い頃お友達があんまりいなかったお陰で、1人遊びが好きな女の子だったからからなのか、図書室で本(物語り)をよく読んでいたことを、ブログを書きなながらおもいだしました。

私が学校帰りに通っていた、子どもを預かってくれる大きな施設の図書館で、体験した不思議なお話しをさせていただきます。

その図書室は、奥の壁一面がガラス張りでした。そのガラスの向こうは木や観葉植物やお花がたくさん咲いている箱庭のようになっていて、蝶々や小鳥も遊びに来るような場所でした。私はその景色を見ながらソファーに座り本を読むのが大好きでした。

今思うと、ちょっとしたホテルのラウンジのような所だったのです。居心地が良かったわけですよね。

ある日いつものように図書室に行き、本を手に取り窓ガラスに1番近い場所のソファーに腰掛けて、窓へと視線を映したんです。「ん?!」私の目にチラチラ映り込む何かに気をとられました。

蝶々が飛んでいるのかなぁ……「えっ!」「蝶々じゃないの?」と思いながら、窓ガラスに張り付いて観察してみたんです。「チラチラする見えづらい……」「なんだろう……」と、思った瞬間!羽の生えた妖精🧚‍♂️こんな感じでした。(笑えるますよね)

ハチほどの大きさかなぁよぉく見ないとわからない
顔が人っぽい生き物……でした。

いやぁーーーうそみたいな話しなので(笑って忘れてくださって大丈夫です)スルーもお気軽にどうぞ。

私にとってはとても素敵な妖精との出逢いに感動したお話しなのです。それから、あっという間にいなくなったのでほんの数分(数秒)だったかも知れません。

その後も友達と遊ぶのは苦手だったのでしょう、結構な頻度で図書室に行っていた私は、行くたびに窓ガラスを見つめるのが課題のようになっていました。追い求めすぎたのか、妖精さんはもう二度と私に会ってくれることはありませんでした。

私の人生で「宝物のような」出来事の一つです。

本好きだった私は、小学5年生から中学一年生の間に2回の引越しをしました。そのせいではないと思ういますが、本を読まなってしまいました。
お友達と遊ぶことも増えたからかもしれません。

本がどうしても好き?と言う感触を覚えているわけではないのですが、私の場合は物語が好きなのだと思います。
フィクションやノンフィクションを問わず感動しり、すぐに感情移入したりするタイプで、演じている方に同調したりもします。そして自分は何故あんなに感情を受けて泣いてしまうのだろうと不思議だったことを覚えています。

私の父親は映画好きだったので、毎週末に映画へ連れてってもらっていた記憶があります。もっぱら洋画でしたが、とても楽しいひと時でした。最初は字幕に追いつけずアタフタしながら、文字を追うのに必死だったように思います。

洋画によく出てくる『ワイロを渡す』場面を見ては父親に酷いとか言うと『普通にあんなことはあるんやで』と言われてビックリしたことも鮮明に覚えているのです。

中学生になってもレイトショーによく家族でいきましたが、小学高学年と中学生になってからは、漫画にハマり漫画を借りてきては、読みふけっていました。
私はどうやら切ない物語や、歌を好んでたんです。

中学生の高校受験に入りだす頃、高校入学をしたくないことを告げ、「歌手になりたい」と、言ったら反対されてしまいました。
とりあえず高校には通い出したのですが、興味のない勉強に没頭ができず(言い訳かもしれませんね)に、学校を勝手に辞めたのです。

その一週間後に、親がいない間に、東京へ歌手になると家出をしましたのですが、母親が東京へ追いかけてきて、たった2日であえなく御用となり、家に連れ戻されたのです。(この時の話はそれだけで、色々な珍事件があるので、またの機会に書かせていただきます。もちろん興味がありましたらですが……)

その時まだ15歳だった私は、学校を辞めて歌手になる為にオーディションを受けながら、バイトを始めようと動き出し、今で言うセレクトショップではたらきだしました。(その傍ら洋服のデザイナーにも興味があり、勝手に願書を出して4月を待ちながら、今できることをしていた時期です。)

その頃15歳の私が、又本を読むきっかけが再びやってきたのは、セレクトショップに通う電車の時間が、私に、又本を読ませてくれたのです。

その時はまっていたのが『赤川次郎』の推理小説です。面白くって何本も読み漁り、赤川次郎さんにとてもお世話になりました。

思い出したら言うことを聞かないところのある私は、親の反対を押し切り19歳で、結婚し20歳で第一子を授かったのです。

子供が生まれてからの人生で本を読む時間などある訳もなく46.7歳まですごしてきました。

47歳の後半に本を出すことを目指して進み出しもっか学びながら歩んでいます。
いつか誰かの手元に届けられるようなものを書けるよう頑張っているので、応援してもらえたら嬉しいです。

長い私の話に…お付き合いくださり、ありがとうございます。

そして、今朝読み出したこの本の始まりは、なんの引っ掛かりもなく読み出しました。初期感想としては、とても読みやすく、心地よい文章でスゥーーーと、吸い込まれるように読み進めています。

お時間があれば皆さまにも手にとって読んで見てほしいと思うお勧め本です。

今このブログはコロナでお休みされていた紅茶専門店のムジカティーさんで、美味しい紅茶を頂きながら、ブログを書いたり、本を読んだりする時間が私を育ててくれています。

是非お時間ある時にお立ち寄りくださいね。
私のとっておきのばしょです。
紅茶がこんなにも香り良く、美味しいことに感動しています。

この素敵な紅茶を飲みながら
本を読む時間をみなさまにも味わってほしいなぁ〜

長々お付き合いくださりありがとうございます。




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