参政党で心配なこと(7)
もう選挙戦終盤ですが、ボードメンバーの傲岸さは(とくに神谷さんと松田さんね。よしりんはそこに流され、赤尾さんはまあちょっとよくわからないし、武田邦彦先生はまあハッキリ言って乗っかっているだけだけど)、参政党メンバーにもどうしても伝わってしまいます。
病院なんか行くと、看護婦さんたちの雰囲気って院長先生に似ていますが、そういうのって党でもあるんですよね。たとえば下の動画。
「妨害者」と称する動画
ここでメガホン持っている人は、塚原さんという、コロナのはじまったころから、ノーマスク運動をやっていた人だと思いますが、彼が、「大調和」という参政党のモットーについて噛みついています。
ちょっと状況がよくわからないのですが、参政党の誰かの演説会の後に、彼がメガホンで質問をしようとしている場面らしいですね。拡声器を持つ、というスタイルはちょっと攻撃的ですが、彼の言っていることは、よく聞くと『攻撃』というより、「忠告」に近い事が分かります。
「大調和」という言葉について、前の文章で、私は、ヘヴニーズのマレさんと同様に、使うのはどうかな、と違和感を表明しておきましたが、実は、生長の家のモットーでもあることは、わざわざ書きませんでした。調べれば分かることですから。でも、そのことを塚原さんは「日本会議の前身である生長の家のスローガン」である、と直言しています。そして、そのことが参政党が「誤解」される原因になっているから、やめた方が良い、と声を張り上げています。
それに、オレンジ色の賛成党員が「選挙妨害だ!」と詰め寄っています。もし、これが演説中に演説をかき消すようにがなり立てていたら、それは選挙妨害でしょうが、戦後の状況は分からないものの、この動画のなかで、「選挙妨害」をしているようには見えません。むしろ、オレンジ色の人たちの「言論弾圧」している場面のように見えます。
なぜ、彼らが激昂しているのか。
ひとつには、拡声器というスタイルがあるでしょうね。なんだか過激な感じがします。これ、塚原さん自身が運動家だからこんな物持ってきているのでしょうが、このスタイルは彼も「誤解」を生みますね。
次に、党員の問題です。塚原氏が何を言おうとしているのか、中身を聞いているようには思えません。参政党は、HPにも記載しており、NHKの政見放送でも、くりかえし「大調和」を唱えていましたから、彼らの良く言う言い逃れ「これからみんなで考える」という類のことではなく、みんなで決めたのか、神谷さんの発案なのかわかりませんが、「大調和」は参政党の理念そのもののようです。それが「誤解」を生む、と塚原さんは指摘しているので、これは別に誹謗中傷とはいえないでしょう。しかも選挙妨害でさえない。
なので、党員達は、ともかくなんだか反対する奴は許さん、という程度でここで詰め寄っているように見えますし、党のモットー「大調和」が生長の家のモットーと同じであることを知らないか、誤魔化したい。
ココで見られるのは、党員の「無知」と「傲慢」です。
そして「不寛容」。
参政党にケチを付けることは許さない、という「不寛容」な態度では、参政党はどうかな、と思っている人たちは取り込むことは出来ません。批判は批判として甘んじて受け入れる、そいう態度のない、もし政権を取ったときに、「自分たちを攻撃する人は敵だ」と発言を封じる体質の人に政権を預ける気がするでしょうか。
そして、たしかに塚原さんのやり方はエキセントリックですが、その指摘そのものは、一部の人が疑問に思っていること。これに誠意を持って答えれば、安心する人も居るかも知れないのに、あの攻撃的なメガホンに惑わされて、排除するほか考えないことで、そういうことがかえって、票を減らしてしまっている。ひとりひとりの声を上げる人の後ろに、同じ意見の人が居る。それは参政党支持者も、同じ事なので、どうしてちょっとでも意見が違うと排除するのか、こんな体質で、内部でも実りのある議論が出来るのか。
正直言えば、現場で動いている党員の人が、そんなに深い考えで動いているわけではないことは、容易に想像がつき、無理だろうな、と思います。人間はああいうとき、とかく感情的に動きやすい物。僕が一度だけ参加した参政党の会議でも、深く相手の言うことを受け止めて議論できる雰囲気とは思えませんでした。知的な議論って訓練がいるので、ちょっと難しいだろうとは思いますが。今後、本当に成長を遂げようと思ったら、大事な事なのです。
実は、東京支部は何度も瓦解を繰り返しています。これは、ZOOMや掲示板のみで議論をする時期が長く続いたことにもよりますし、「監督」している神谷さんのまとめる力(寛容性)がないことにもよるでしょう、彼は目上や実力者には媚びますが、「党員」には何故か威張り散らしている。なぜなんですかね、不思議な人です。
「大調和」について
さて、大調和という言葉ですが、生長の家で使われている言葉であることは間違いないですが、だからといって生長の家とつながっているのが間違いないとか、そうとも言えませんし、そもそも生長の家やら、日本会議が悪いかのような、前提もどうかと思います。また、言葉にこだわりすぎるのもよくないかもしれませんが、すでにひとつの宗教団体で手垢のついた言葉を党のモットーに掲げる意図は、僕にはよくわかりません。
世界が仲良くして、争いがなく、人が自分の意志で元気に生きられる社会を目指す、そしてそれが日本がキッカケになるとしたら、どんなによいことでしょう。
だから、そうしたことを「ハーモニー《調和》」と表現する事は、必ずしも悪い事ではありません。でも、大調和となると、あまり聞かない言葉で、宗教色は消えません。
金融資本が提唱する「ニューワールドオーダー」「グレートリセット」も、建前上は「みんな幸せ」になる標語として使っています。紛らわしい言葉を使う意味ってあるのでしょうか。
タテマエの言葉遣いは、本当に難しい。本当の願いを表現するのには、もっと素直で、誤解を生まない表現がよいのではないでしょうかね。上に書いたことは、本当は隠れ金融資本だ!なんてことを言いたいのでは勿論ありません。でも、どうもひっかかるのは、僕も同じです。
疑問を口にすれば「アンチ」と言われる、ああ、そういう神谷さんと党の体質が本当に困った物です。マレさんくらいになると、言われないでしょうけど、神谷さんや松田さんは、自分より格下と思うと、叩くんですよね、やれやれ。
松田学さんからの「めいこ」さんへの攻撃
めいこさんによる参政党批判動画に対して松田学さんが「ドイツで食べ物が悪いから攻撃するんですかねえ」と「あしらった」ことに賛意を表明しているらしきアップロード主による動画です。
僕は、この言い方に松田さんに品位を感じません。「めいこ」さんが成し遂げたドロスデン論文の矛盾や、コロナやワクチンの同調圧力と戦ってきた歴史も知らずに、しかも、彼女の疑問点にも正面から答えず、彼女の属性のみみて嘲笑する姿勢。松田さんの正体みたり、という感ありありで、残念です。
「めいこ」さんのアナーキーな視点、すなわち政治自体に対する不信感は、身も蓋もないようにも感じられますが、こうした意見の中にも真実のかけらを見いだすのが人としての道ではないかと、僕は思いますけども、どうでしょうかね。