雨の建築 自然との付き合い方
建物からすると雨は大敵であると考えられている。
雨は建物に影響を及ぼすと嫌がられる。雨漏りや吹き込みはあってはならないとものとされて防水をしっかし更にしっかり行うことが良いこととなっている。
しかし、疑問は残る。
なぜ、ここまで水を嫌がるのだろう。
濡れることで素材が痛むから
濡れると乾かすのが面倒だから、滑るから。
苔が生えるから
そもそも濡れたくないから?
私たちはなぜここまで自然に生きられなくなったのだろうか。
雨が降るのは当然であり、どうしてここまで徹底的なシェルターを求めるのだろうか?
そこには、資本主義の影響も大きいと考える。
どんどん良いもの快適なものを追求しているのはニーズではなく、供給側の心理であり、良いものはそうでないものの反対側にあり、そうでないものを悪いものと評価して誇大に宣伝を行い、さらに良いものでならなければならないと進んでいく。
このサイクルは資本主義の特徴であろう。
断熱性能にも同じことが言える。どこまで性能を上げるべきかはニーズではない。
雨について最たるものは サイディングである。
隙間はコーキングというもので密閉してしまう。防水性という意味ではとても優れているものであるが、この窯業系というものが何なのか?買い手側は何もわからずに、サイディングという防水を施す。これもニーズではないだろう。
サイディングは絶対に雨が漏らないものである前提が雨に対しての悪役感を増している。
雨が降ることと自然にとっていいことしかない。降らないと植物は育たない。そんな雨に対して建築にとっても悪者ではないと思うことから思考を変えてみてはどうだろう。
だからこそ
私たちは今一度自然との付き合い方から建築を考えなくてはならない。