数原さんとの思い出
僕が20代の頃に、師匠から電話がかかってきた。
川上、○日空いてるか?て言うか空けれるなら来なさい
俺のヒーローと合わせたる!!
え!?
師匠のヒーローって誰だろう
ちゃんと知らなかったし師匠はとても強い人だった。
自分より尊敬する人は羽尾知也さんと横山均さんと、以上のお二人のお名前はよく聞いていたが他にはあまりで、、、、
行った先のもう無い旧キングスタジオだったかな。
レコーディングの見学だが一応トランペットを持って向かった。
川上の20代、約25年近く前である。
インターネットはあったが、まだyahooやGoogleの検索などまだ一般的でなかったので、ミュージシャンの方々の素顔を知らない
初めまして、見学に来た川上鉄平です、と挨拶をしていると、
『どうも〜川上くん?〇〇です』
お名前はCDのクレジットで拝見した方々ばかり。。。
僕の師匠もNHKでレギュラー番組のあるビックバンドでリードトランペットを吹いていた方なのであるが、師匠を上回る年齢の方々でした。
そして、昔のトランペットケースの代表格
ラニオンブルースのトリプルケースを持った数原さんがいらっしゃった。
スタジオに着くなり、ガラガラっと入り口付近にある持ち運び、灰皿を自分の席に運ばれました。
当時のスタジオは全面喫煙w今は信じられないと思いますがスタジオの入り口に灰皿がいっぱい置いてありました。
川上鉄平です、よろしくお願いします!と体育会系気味にご挨拶をしたのを覚えています。
ああ、数原です
!!!!まじかぁ!!!!
この方があの数原さん。
僕が中学生の時にニューサウンドブラスのCDに必ずゲストミュージシャンで名前が載っていた、あの!
金曜ロードショー、パズーのファンファーレで聞いていたあの!!
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腰が砕けそうでした
師匠のヒーローは数原さんでした。
席に着くや否や、タバコに火をつけられミキシングルームにあるコーヒーを取りに行かれました。
そして、いよいよラニオンブルースから巾着袋が
ん?なにが入ってる??
数原さんは、床にガラガラっとマウスピースを7、8本蒔きましたw
ビッックリしました
アトリエで特注したものや自作されたものもあったそうです。
そして楽器が登場。
わー
なんか見たことのない部品がたくさんついています。
まさにロータリートランペットのオクターブキーや High Bb キーのようなものが
おおおおおおおお〜
そしてマッピを一つづつ選びながら、違うな、これも違う、これも違う、と言う感じで4.5本目のマッピを選ばれまして、
いよいよ生音です。
初めて聞く数原さんの生音。
母をたずねて三千里の生き別れたマルコの母に再開したような気持ちになりましたw
テレビで聞いたことのある音だぁぁぁぁ!!!!!
心の中で大きくガッツポーズをしたのを覚えています。
すると数原さんはテレビで聞いたあの曲の人フレーズを吹かれました。
レミファソラー
レミファソラー
もしや!?あの曲ではないか
レミファソラー
↑レーミーファーミーファラー
これは
これは
はぐれ刑事純情派やん!!!!!
レミファソラーーーー↑レミファミファラーーーー
レドレ↓ファーー
そのあとキューーーーー〜っと聞いたこともないハイトーン
スタジオのフロアと呼ばれる一番広い部屋にはいはいハイトーンが鳴り響く
ウォーミングアップ中の他のメンバーの方々も一堂に吹くのを止め、静まり返りました。
真後ろにいた川上、鳥肌が凄い。
全身の毛穴に音が染みる感覚でした。
なんだこのとんでもない音は!?
そして吹かれた数原さんは、苦しそうでもきつそうでも無い感じ。
その辺のトランペッターが同じことをしようものなら、もうそのあとの音は使い物にならないw
その後に録音されたものはテレビで聞いたことのある音楽のリメイク、曲目が思い出せない。。。
一瞬でその日のレコーデイングが終わり、見学させていただきありがとうございました、とお礼を言って帰りましたが頭が痺れていました。
プロの一流の現場で求められる音ってこんな音なのだと
数原さん以外の方々も素晴らしいプレイで、倍音や響きに圧倒された記憶だけが残っています、
その日以降、色々と師匠の計らいもあり、CMなどのレコーディングで末席で3.4番TPを吹かせていただくレコーディングをいただき、他の先輩方とも少しづつお話しさせていただきました
スタープレーヤーがいて、それを支える一流のサイドマンプレーヤー(他の現場では1stコールだったり、リードプレイ、ソロプレイも素晴らしい方々)のアンサンブル、手際の良さ、冗談まじりな会話からのダメ出し、楽屋での立ち振る舞い、色々と経験させていただきました。
一番思い出に残っているのは、江古田バディで数原さん主催のビックバンド
「バンドでわっしょい」でルパン3世の演奏ときのことでした。
その時は出番の少ない五番トランペット。休み曲です。
前正面で見学していました。
1番キツイアレンジの80 Lupan
サイドの皆さんは顔を真っ赤にして吹いていたのですが、数原さんは少し険しくもそこまで力を入れて吹かれていませんでしたが、前に ズバーン と抜けてくるのです。
何だろうな、もはや魔法使い。年輪が違う。
その後の打ち上げでいっぱい秘密を教えていただきましたが、
てっぺいには無理だよぉ道具もアンブシュアも変えなきゃだしなぁ、と。
でマッピを持って来ていただいて、ちょっと吹いてみー、となりました。
ホルンのパウスピー雨くらいの深さにダブルカップ。
見たことのないマッピで、ボーとしか落ちが出ませんw
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秘密を知って更に自分には自分のやり方しかない、と思い知らされたのです。
その後も秘密の練習部屋で勉強会と称し、楽器、マウスピースの改造に明け暮れました
⚠️注意⚠️今はやっていません
当時は練習より道具の研究が命でしたね
少しづつ改造すれば物理的作用が働き、音を微妙に変化します。
切ったり削ったりと多くダメになったものがあり、今となってはもったいなかったと思うものも。。まぁしゃあなし
いま使ってるYAMAHAをチョイスしたのも、本体を削ったり切ったりせずに、材質や重さを変えれる部品が多くて、楽器へのダメージが無いからなんです。
数原さんもかなり楽器の研究をされていて、石油のパイプのつなぎ目の溝の話などを楽器の抜き差し菅に取り入れたり、1mmの改造の積み重ねをされて最終的に使っていた最後の楽器が完成しましたね
なのでこちらも真似をしたり色々やりました
難しいもので、Aさんには合う改造でもBさんに合うとは限らないものもあり、最終的にその本人でしか分からない部分が多すぎました
もちろん多くの人に合う改造もありましたけどね!
なので、自分に合う改造を他人にゴリ押しするのも辞めましたw
その後、僕は束のような長期のミュージカルの仕事なども入るようになり、単発でのレコーディングをお断りするようなスケジュールになり、数原さんはまた次の若手の方にサイドを頼むようになりました。
しばらくご縁がなく、お亡くなりになる4ヶ月前くらいに久々に電話で話をさせて頂きました。
あー鉄平?懐かしいなぁ元気?
楽器や音楽の話ではなく、知人の訃報の連絡だったので、久々にお話が出来ても笑顔で話せる内容でなかったので、最後に今度遊びに行かせてください、と伝えたのですが、叶うことはなかった。悔やまれます。
仕事以外でも、一緒にムノツィルブラス見に行ったり楽器改造したり、お元気だった日々が懐かしい。
いまでも数々の演奏がテレビから流れる度に思い出します。
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