思春期の記憶~ちょっと曲者だった、父と母~

幼少期編もありますので、良かったらどうぞ。
(続きものではないので、読まないと意味が分からないとか、そういうことはありません。)

改めましてこんばんは。
時刻は早朝4:30です。
最近、急に睡眠薬が効かなくなってしまって、夜中ずっと起きていることが多くなってしまいました。その代わりに昼間はずーっとボーッとしています。困った…

さて、タイトルにもありますとおり、ウチの父と母は、少々曲者な方たちでございました。
今日は思春期編、主に中学校~高校の時についてお話しさせてください。

中学は地元の公立中学に通っていました。
勉強が得意だったので、成績はトップ10の常連でした。漏れてしまったことって、2回くらいしかないんじゃないかな…
ところがウチの教育方針は「80点主義」。1教科でも80点を超えられないとグチグチ責められたり、怒鳴られたりしてしまいます。
私は数学がとても苦手で、毎回80点ギリギリくらいだったんですが、80取れないこともしばしばありました。
そんな時は、数学が得意な父による、厳格な講義が始まります。
私はこの時間が嫌で嫌で、たまりませんでした。単に教えてくれるだけなら良いんですが、一言多いんですね。
「こんなのも分からないのか」
「ちゃんと授業を聞いているのか」
もちろん授業はきちんと聞いてますし、テスト前には数学にかなり比重をかけて勉強していました。それでも、こんな成績で💦
お父さん講座は本当に怖いので、頭がフリーズします。何とか状況を打開したいと、母に「塾に行かせてくれ」と頼んだこともあったのですが、「お父さんが分かるんだから、教えてもらえばいいでしょ。」と即却下されました。
ウチは、褒めない子育てでしたので、他の4教科が90点以上の高得点であろうが、全体順位が良かろうが、満足そうに「ふ~ん」と言われるだけで、とにかく数学数学と言われていました。重箱の隅をつつくのが好きなんでしょうかね…🤔

高校は余裕を持って地元の公立へ。
親の希望で「自宅から通える国立大へ進学してほしい」とのことで、ここでようやく数学の進学塾に行かせてもらえるようになりました。無事に成績はメキメキ伸びまして、上位争いができるようになったし、5教科の順位もだいたい一桁をキープしていました。

で、進路の「家から通える国立大」なんですが、ド田舎なので基本、1県に1つしか国立大はないんです。私は県境に住んでましたので、たまたま2つ狙えたのですが、その分、通学の負担は1時間半or2時間とかなりのものでした。2時間は少しキツ過ぎると感じ、本命は1時間半の方に定めました。興味のある学部がたまたまあったし、初っ端から模試もA判定だったので、ラッキーでした。

でも本当は、違う隣県の国立大へ行きたかったんですね。自分の学びたいことと、ドンピシャな学部があったので…でも自宅から通うのは地理的に不可能でした。
模試に試しに志望校として出してみると、C判定。やはり狭き門です。A判定でも出れば、交渉材料になったかもしれません。
しかし、両親は「県外には出さない。東大か京大に行けるんであれば出してあげる」との方針で、私の成績で県外へ出るのはやはり絶望的でした。(ちなみに、後に阪大も優秀だと知った両親は、阪大でも県外に行かせてくれると約束してくれました😅優しいのか、何なのか…)
いろんなところにオープンキャンパスに行く同級生が、とても羨ましかったです。

さて、A判定をキープしていた地元国立大。
でも私はそんなに秀才ではなく、体力もあまりない上に、大好きな水泳部に所属していたので、よく疲労困憊になっていました。
水泳から帰ると、必ず一度眠くなってしまいます。でも明日の宿題や予習のことを考えると、ベッドで眠るわけにはいきません。そこで、ついついしてしまうのが、ソファーでのうたた寝でした。
これがですね、両親は大嫌いで。
寝るならきちんと入浴を済ませてベッドで寝ろと、怒鳴りつけられるのが、日常茶飯事でした。テレビのリモコンが飛んできたこともあります。(痛かったー…😢)
私は朝に弱いので、夜早く寝て、その分朝に…ということができません。今で言う起立性低血圧だったのだと思いますが、無理やり立ち上がると失神しますし、寝ぼけてパジャマの上から制服を来て学校に行ってしまったこともありました^^; 朝食のパンを片手に意識が飛んでしまえば、母から「やる気がないから起きられないのよ!💢」と、容赦のない檄が飛びます。
こんなでしたので、朝に勉強は本当に不可能でした。夜やるしかありません。
何とかソファーで寝まいとしますが、脱衣所で寝てしまいこれまた怒鳴られたり、湯船で寝て口許までお湯に浸かってビックリして起きたり…いやぁ、あの時は本当に眠い時代だった(笑)。
学校から帰って塾がある日は、塾の拘束期間が3時間と少々長めなので、家で仮眠を取ることもありました。でも、うっかりすると寝過ごしちゃうんですよね💧そんな時は超特大カミナリが落ちてきます。
「塾があると分かっているのに、どうして寝るんだ!!!⚡」
車で送ってくれました。感謝してます。5分の距離ですが、車中でもとにかく叱られました。どうしても許せなかったようです。

でも、大人になってから知ったんですが、
親によっては、
「大丈夫?」
「疲れが溜まってるんじゃないの?」
「塾まで送ろうか?」
とか、優しい言葉をかけてくれる親も…信じられなかったですが、いらっしゃるようで…。
私、「大丈夫?」とか、「頑張れ」とか、親に言われたことがなかったんです。
何なら「ごめんね」や「ありがとう」も…人生で何回言われたかな…

あと、最強曲者エピソードが…
私、センター数ⅡBで大失敗しちゃったんです。これはまずいと、試験終了後に自分でも分かりました。
翌日の自己採では、過去最低得点が…
落ち込んでいる私に、母がかけてくれた言葉がこちらです。

「あぁぁ~~…3年間、高い塾代を払ってきたのに……」
私は歯を食いしばって、「結果、出せなくてごめん。」と詫びました。

ちょっと、他人の気持ちに鈍感なんでしょうね。そんな、曲者な両親でした。
書きながらちょっと涙出てきちゃった(>_< )笑
もちろん、育ててもらったことはとても感謝しています。
ちなみに地元国立に合格できたことにより、家庭に経済的な余裕ができたのでしょう。勉強が苦手だった妹は塾にもほとんど行かず、県内の好きな私立大へと進学していきました。(この時は親にちゃんと「ありがとう」と言ってもらえました)
でも私は、妹が心底羨ましかった。正直、憎いと思ったこともありました。

ちなみに両親とも、私に本当の第一志望があったことは知りません。話を聞いてもらえないので…打ち明けることもありませんでした。

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