思い込みを捨ててみると何が起きるのか。
色々書きたいことがあったような気もしたのだけれど、
年末ってあっという間にきてしまった!今日31日だし。もうお昼過ぎてるし。
仕事終わりが23日だったから、ゆっくりと1週間過ごしたことになる。
もう10日ほど休みなのだ、、派遣だから働きたいけど、今年はこれでよい。(20日ほどお休みなんて、月給ほぼないでござる。。だがお金の心配すること一旦停止)
日本にいるのに予定が入っていない年末年始をおくる!年越しパーティーも今回はなし!
そう。昨日電車の中で気づいたことがあった。
私、楽しいことと、楽しそうに見えることの境界線が曖昧!
もうすーぐ人の影響を受ける。まじで。
これってさ、見てるうちはわからないの。楽しいか楽しくないかなんて。
やってみて、経験してみて、私これ好きだなぁとか、苦手だったわってわかる。
この基本的なところすっ飛ばして、
楽しそう、にみえるってだけで、彼女はこれができていいなぁーとか
結婚していいなぁーとか、これ参加していいなぁーとか。
考え始めるの。
でもさ楽しそうにみえるだけで、やってみないとそれ私にとって楽しいかどうかわからないから、
羨ましがるのは一旦おいておいたほうがよいみたいです。
思い込みからの羨ましい、、自分なんて、、ってまじ何も生み出さないと気づいた。
なんでそんなことを思ったのか、って、
昨日は素敵な知り合いが行っている糸かけ曼荼羅の作品展に足を運んだの。
糸かけ曼荼羅って、作品は素敵で、
みているとわぁ〜きれ〜っとなる。
ただし作る方は、不器用な私には難しいだろうなぁ、
マクラメみたいなのも20歳の時に10cmもできずに飽きたからなぁって
色々WSに参加する機会はあったのだけれど、不参加にしてきていたわけさ。
昨日の会場には糸かけ曼荼羅コーナーがあって、
煩悩の数108個のピンを刺してくれていて、
来場した人でリレーして作品を仕上げていくことをしていたのね。
私ちゃっかり体験させてもらってさ、(勇気がいたけれど)
もくもくと集中すると楽しくなって、熱くなって、上着脱ぎ始めていた私がいました。笑
「難しいし、楽しくないだろうなぁ」って、思 い 込 み でした。
最初はピンを数えて次へ、とやっていて、(この時点ではあんまり楽しくない)
途中から、法則が少し見えてきて感覚で糸をかけ始めたところから楽しーーーー。となりました。
−−
人は今までの経験から、こうだろうと予測する。
もう一歩進んで見ると、親の概念から外れて自分で選択したあたりの土台から、こうだろうと予測する。(20歳ぐらいからの価値観)
もう一歩進むと、私自身も成長しているので
今の価値観、感受性がある。それに今までの経験は関係ない。
だから、もう全部今の自分で経験してみて、感じて見ることが大事。
フラットな目で自分を観察してみる。
これをやっているときの自分の呼吸はどうだろうか、奥歯の噛み締めはどうなっているだろうか。
自分を観察してあげよう。
そうすると、楽しそうに見えていたことは私にとって楽しいのかどうかわかる。そうすると、ちょっと楽になるよ。
(今はこれがいいとかあれがいいとか情報多すぎだからね)
人が楽しいと思うことと、自分が楽しいと思うことは違って当然。
常識とはなんだろうね。
全人類ある程度一緒の意見を持っているはずと思ってしまっている人がいたら、
これに気づいて少し楽になればいいなぁと思う。
そして、楽しいはず、と押し付けてこない友人たちもやはり大人だなぁと思います。感謝。
ただただ目の前の楽しそうなことに流されていた私の「楽しそうなこと」さえも誰かの影響を受けていたのだなぁと思ったら、全部フラットにみることができた体験でした。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?