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まさか本当に母親になれると思ってなかった

3ヶ月前に子どもを産んだ。
子どもが生まれる直前まで、子どもを産むのが怖かった。
子どもを産むことが怖いというより “母親” になれるかが不安だった。


高校2年生の時、クラス全体に先生が「将来結婚したい人〜?」と聞いたことがあった。
たしか性教育の授業だった気がする。

お年頃の生徒たちに蔓延する、少し気恥ずかしい詰まるような空気の中、やっと息が吸えた質問だった。

「結婚はさすがにしたいな〜」
「それはそう」
「24歳くらいで結婚できたら理想」

そんな肯定的な言葉とともに、クラスのほとんどの手が挙がった。

手を挙げていないのは、自分だけ。

わたしは本当にびっくりした。
さっきまで一緒にお菓子を食べてバカ笑いしていた友達たちが急に大人にみえた。

(瞬足くらい差をつけられた。この質問がまさかコーナーだったとは……)
なぜか幼少期よく放映されていたCMが頭の中に流れた。
絵に書いたような現実逃避。

マイノリティになるつもりはなかったのに、気づいたらポツンと離れた場所に立っていた。
スタートラインから動かないわたしにもちろん先生が聞く。

「なんでキミは結婚したくないの?」

なんでったって、そんなこと言われても……。

はじめて “結婚願望がない” 自分を因数分解した瞬間だった。


いや、だって血縁者以外の人と四六時中一緒ってキツくない?
今でさえ、家族と暮らしててもひとりの時間がないとしんどいのに……
そもそも、他人にありのままの自分を見せるっていうハードルが高すぎるんだよ……
ええええええ、もっと考える時間をくれよ、なんでこんな難問、突然出してくるんだよ…タイムショックかよ………
あー、どうしよう、なんか言わなきゃ、でも強いていうなら

「自分ひとりのことで手一杯だから」


爆速因数分解が終了したと同時に、脳と口の直通工事も完了した。

答えを聞いた先生は目を丸くしている。友達もキョトン顔。
(え、そんな変なこと言った?)
不安になるわたし、今まさにカオスの霧がうっすら舞っている。

「じゃあ子どもは?  欲しくないの?」
見たこともない霧の中、友達がわたしに手を差し伸べてくれた。

「え、子ども……?  でも、子どもは欲しいかも…」

あ、わたし子どもは欲しいんだ。
自分ひとりで手一杯なはずなのに、子どもは欲しいんだ。矛盾してるな。
今思うと人生を左右するレベルの気付きである。
人生が小説だったら、わたしが母親になる伏線の1頁はここだ。

「そっか、じゃあ結婚しなきゃね!  色々大変になっちゃうもん」

友達がニコッと無邪気に笑った。その笑顔がとってもかわいくて、なんだか気持ちがフワッと浮いたことを覚えている。


子供を産むということは責任を負うってことで、その責任を全うするのにわたしみたいなちんちくりん一人だったら、たとえ大人になったとしてもきっと心もとないだろうし……じゃあ確かに結婚しないと子どもを持つことはしんどいよな。
そもそも結婚=子どもなのか?  将来のわたしはどういう思想なんだ?
というかなんで漠然と子どもは欲しいんだ?
よくよく考えたら子どもを持つことも産むこともある意味必ず痛みが伴うってことだからめっちゃ怖くないか?


キーンコーン  カーンコーン


輝く笑顔にフワフワになった頭の中でグルグルとそんなことを考えていたら、いつの間にか授業終了のチャイムが鳴った。

結局、質問以降の授業内容は頭にうまく入らなかったし、
後日実施された保健のテストはボロボロだった。



それから数年後、

分娩台に寝かされたわたしは、遂に子どもが産まれる陣痛というカウントダウンに耐えながらそんなことを思い出していた。


(なんやかんや最高のご縁があって結婚はしたけど、
未だに産むのは怖いし、和痛なのに陣痛激イタだし……
大人になっても何もわからずここまで来たな…………)


痛みにはなんとか耐えられているけれど、母親になることへの不安は未だに拭えずにいた。

人生で一番辛かった悪阻も、胎動が始まることで陥った寝不足も、それらと戦いながら両立する仕事の辛さも、全部自分の中の不安を加速させて行った。
だってわたしは結局 “お腹の中の赤ちゃんに話しかける” ことすら上手くできなかった。
SNSで見かける他の妊婦さんの姿が、あの時の友達の笑顔くらい輝いて見えた。
そんな状態で分娩台へ乗せられた自分が酷く滑稽で情けなく思えて、視界にモヤがかかっていく。

「いきんで!  もうすぐだよ!!」

助産師さんの声が室内に響く。

どうしよう、産まれる。
産まれちゃったら強制的に母親になってしまう。
わたしはまだなんの自信もない。

自分の心とは別に、身体は息を吐き収縮を続ける。
辛くなってはいきみ、しんどくなったら休み、またいきみ、また休み、いきみ、やすみ、いきみ…………

無我夢中で呼吸を繰り返す中、スルン と身体から何かが抜け落ちた。

聞いたことのない声で、周りがいっそう騒がしくなる。
身体を支えてくれていた夫がとなりで「産まれたよ」と嬉しそうに笑った。


動かない脳みそでどこか他人事のように “産まれた” という事実を咀嚼し、周りを見渡す。

忙しなく動き回っていた助産師さんが、「お疲れ様」と目の前に癇癪をおこす布を置いた。


その瞬間 モヤが晴れ、視界がクリアになった。



一生懸命に産声をあげる娘の姿に
わたしは母親になれる、と確かに思った。



バタバタと動く手足も、
声を出すたびに浮かぶえくぼも、
まだまだ痩せっぽちの身体も、
ぜんぶぜんぶかわいく見えた。

何もわからないままでも、無条件で愛おしい存在があることをその時知った。


学生時代、漠然と抱えていた恐怖が嘘みたいに無くなり、さっきまで付きまとっていた重たい不安が散り散りに消え去っていった。

(娘を産んだ時、恐怖や不安も一緒に抜け落ちたんだ…)
馬鹿みたいだけれど、本当にそう思えた。



出産という大仕事を終えた身体は自分が思ったよりもダメージを受けていて、安堵したと同時に寒気と眠気に襲われた。

片付けをしている助産師さん達にそのことを伝えると、「あら、じゃあ昼食をとる前にしっかり休もうね」と電気毛布をかけられる。

身体がじんわり暖かくなり、とろとろと心地の良いまどろみの中、今までの自分では想像できなかった幸福感を味わいながら眠りについた。





出産から3ヶ月がたった今、娘は溢れんばかりの元気を振りかざし、すくすくと成長している。
ベビーベッドに寝かされるのが不本意らしく、ギャン泣きしてはわたしにしがみつき、ご機嫌な喃語で話しかけてくれる。

最近は我が家のアイドルであり、娘の兄貴分の白ペキニーズ (3歳) との関係が明るい方向に進展し、夫婦揃って目が離せない状況だ。


後に夫から聞いた話だけれど、娘を出産したわたしの第一声は「よかった、よかった。ありがとう、ありがとう」だったらしい。
夫は「いや、俺はなんにもしてないし、ありがとうはこっちだわ」と返してくれたようだが、必死だったわたしはぼんやりとしか覚えていなかった。

それでも、あんなにしんどい状況の中、無意識にその言葉が出るあたり自覚がなかっただけで、もしかしたら随分前から “母親” だったのかもしれない。


今でもやっぱり自分ひとりのことで手一杯だし、不安や恐怖と目を合わせやすい性格は変わらないけれど、
だからこそ色んな人に助けられながら、精一杯子育てを楽しめているから君はきっと大丈夫だよ

と、ちっぽけだけれど充実した解答を
過去の自分に送りたい。

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