俺の人生
平成8年1996年7月9日茨城県下館市(現、筑西市)に生まれる。
3人兄妹の末っ子で長男として生まれる。親父の実家がガソリンスタンドだった、そこで家族と爺ちゃん婆ちゃんと暮らしていた。
ある日親父は少し離れた所に家を建て、家族5人でそこで暮らしていた。
何気ない時が流れる。父ちゃん母ちゃんはスタンドで仕事。
2人の姉は年子だったのもあり一緒にいた。
俺は末っ子で長男だった為ずっとお母さんに付きまとっていた。
うちのおっ母は人付き合いが好きでお酒も好きだった。
毎週の様に飲み歩いていた様な記憶がある。
俺は末っ子で長男だった事もあり何処に行くにもおっ母と一緒にいた。
基本的にはおっ母が付き合ってた奴らは大体俺と同じぐらいの子が居たからいつもそいつらと遊んでた。
別に何の文句も無かった。遊んで眠くなれば寝れば良いだけだったから。
ある日いつもの如く飲んで一緒に帰って来て、一緒に風呂に入った。
いきなりドアが倒れて来た。親父だった…
小さかったから何の事だかも訳も分からずひたすらに泣いた。凄く怖かったのは覚えてる。
おっ母に溜まりに溜まった不満が爆発したのだろう。
親父はおっ母の髪を引っ張り殴ったり蹴飛ばした。
それがどんな理由なのかは知らなかった。今でも分からないままだ。
そこえ姉も駆けつけた、俺たちは恐怖でしか無かった。
3人とも泣き叫びながら一生懸命止めた、
おっ母を殴る親父をボロボロに泣きながら小さい手でひたすらに止めようとした。
無理だった…大人の力にかなう訳もなくただ泣くしかなかった。
姉がばあちゃん達に連絡をした。ばあちゃん達が駆けつけた頃には少し頭が冷えたのかもしれない。
しかし親父はなんで呼んだんだと姉を怒鳴った。
今になって思うが当たり前だと思う。警察じゃなかっただけマシだと思う。
それでうちの家族は壊れた。
子供達はおっ母について行った。そこで俺達はそれぞれの道を歩き始めたのだ。
2人の姉は小学校高学年。俺は低学年。
おっ母と子供3人、計4人での生活が始まった。
おっ母は酒も好きで人との付き合いも上手かったから、夜の仕事をした。
姉はグレた。次女は引き籠った。俺は何も考えずに小学校に通った。
そんな環境の中俺は高学年になった頃やはりグレた。
グレた友達が3人出来た。凄い楽しかった。
学校サボってタバコを吸ってみたり。お酒を飲んでみたり。自転車を盗んでみたり。万引きしたり。バイクに乗ってみたり。盗んでみたり。
小学生ながらに色々した。毎日が楽しかった。楽しくてしょうがなかった。
ある日担任の先生が胃潰瘍で学校に来なくなった。俺たちのせいだった。
いい大人を虐めたのだ。時代が時代だった為、先生も俺達に手を出す事もキツイ罰を与える事も出来なかったのだろうと今思う。
同級生も虐めた。校庭に引く石灰と言う粉をぶっかけて笑っていたり、校長先生の○○も盗んだ事もあった。
本当にどうしようも無いぐらいのクソガキだったなぁ、、、
あっと言う間に中学に上がった。何もしなかった。
勉強だってしない。言う事は聞かないし。
家でも何も言われない、学校でもほぼ自由。
そんな時俺は入学式の時に一目惚れしてずっと狙っていた子と付き合う事になった。
浮かれてたんだなって今思い返すと恥ずかしい。好きでも無いのに付き合ってくれてありがとう。笑
そらから俺は部活をちょこっと、彼女が6割、友達が3割ぐらいの割合だったような気がする。
中学に上がって悪い先輩も増えて俺はガスを吸ったり、ガソリンを吸ったり、脱法ハーブを吸ったりもする様になった。
どんどん顔がコケていくのが分かった。彼女にも振られた。
色んな子と遊ぶようになって色んな子と付き合ってもらった。
後半になると学校に行かなくなっていた。気の合う後輩君に金集めをさせて脱法ハーブを毎日吸っていた。この頃の顔は酷かった。
中学を卒業と同時に脱法ハーブや、ガスパンなどを卒業して自動車板金塗装の会社にはいった。
それなりにお金を稼ぐようになると今度はパチンコにハマった。
仕事をしてパチンコをして飲みに行っての日々。
それはそれで楽しかった事は否定出来ない事実ですね。
それから何の夢も目標もなく何となく生きた。
今度は外壁の塗装屋さんにお世話になる事になった。
なにも半端にやりたくないからそこでも一生懸命に働いた。
色んな事を盗んで、学んだ。やっぱり学ぶ事はたのしかった。
でも今の世の中物価は下がり続けていたので質より量の仕事になっていった。
辞めたかった。違うペンキ屋に行きたかった。
その頃から自分の思う事を上の人に言うようになって、可愛げのない後輩になった。俺の言っている事は間違いでは無かったから怒られる事もなかった。
そんなこんなで月日が流れ、
夢を持った。
続く…かもね?www
こんなの読んでくれた方、本当に感謝してます。ありがとう👍
未来予想図に繋がっていくのだ…