人との棲み分けは、恋の駆引き
誰かの性癖は、私の地雷。
誰かの地雷は、私の性癖。
誰かにとって厭な人は、私にとってはいい人。
私にとって厭な人は、誰かにとってはいい人。
棲み分けの話を耳にする度、思い浮かぶ言葉だ。
他人の言動を変える権利は誰にもないけど
誰と付き合うか選ぶ権利はみんな持ってるから
各々がそれぞれ上手くやれる場所や人と
銘々で楽しくやればいいんだと思うんだ
聞き飽きた結末だって?
まま、もうちょっと聞いておくれよ。
安心して遊べる場所や人を探す中でさ
価値観とか距離感とか言葉遣いとか
理由は、その時によって色々だけど
なんか「合わなくて」ウッカリ相手と衝突!
…な〜んて事も、
人ってお互いの相性があるからさ
どうしても起こり得る事だよね。
理由は上手く言えないけど
どうしても「合わない」とか「合わなくなっちゃった」とか
そういう時だってあるしね。
私もひとりの人間ゆえに
相手の発言を否定したくなったり、
時には、傷つくこともあるんだけど
探している最中であるという点において
その相手も私と同じなんだ
お互い試行錯誤の段階にいるんだ
…って、思う事にしてる。
それから、
どうしても相手と「合わない」時
相手と「合わなくなっちゃった」時
相手と離別する時は、いつも思う事にしてるんだ。
『貴方は私としあわせになれないけど、きっと貴方としあわせになれる人がいるよ』
『私は貴方としあわせになれないけど、きっと私としあわせになれる人がいるよ』
こう見ると、棲み分けって
恋の駆引きと
少し、似てるのかもしれないね。
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