Tatsuya
まだモコアにいます。 結局タイタ(シャーマン)の儀式は3回受けて3回とも何も感じれなかった。 2回目前回の反省も兼ねて3杯飲んだのだが、他のみんなは1杯で強烈と言ってる中で何ともなかった人であった。 3杯目吐く時(吐くの行程の一つ)に苦しみながら吐いてる時ここに来てからいつも一緒だったノルウェー人に微笑みながら背中をさすられて、「何で俺だけこんなに苦しんで飲んでるのに何にも感じないんだ」っと泣きそうになりながら吐いた。 そのまま何も感じないまま意気消沈して焚き火の火を眺め
サレントで出会った日本人の方にもしアヤワスカをやりあたいならモコアというアマゾンの入口の街でできるよと教えてもらった。 好きな写真家さんの旅行記を読んだ時からアヤワスカに興味はあり、今回南米を旅をする際に是非シャーマンのセレモニーを受けてみたいと思っていた。 その写真家さんはペルーでアヤワスカを摂取してシャーマンのセレモニーを受けていた。僕も最初はペルーで受ける気でいたのだが、今ペルーはそのセレモニーが観光客に有名になりすぎて、偽物シャーマンが現れるまでの事態になっている
メデジンを出て途中事故とかで少し足止めくらうがバスに揺られる事約8時間サレントに到着した。 サレントは小さい街ながら観光地と栄え街の周りにはコーヒー農園やCocoraと呼ばれているヤシノキが集まったハイキングコースなどがある。 街はカフェで溢れていて地元で採れた豆などでコーヒーを入れてくれたりするのだが、もちろん味はそれなりに美味しくさらに安いというコーヒー好きからするとなんとも嬉しい限り。 でも正直日本で飲んでる方美味しく感じた。もちろん日本では日本人が好むように淹れ
メデジンのゲストハウスに到着して、まさかのスタッフまでが全く英語を話さない事に戸惑いながらなんとかチェックインを済まして荷物置いてから夕食を求めて街を彷徨いに行く。 よくわからない中何軒か迷ってメニューもわかりやすく値段もそこそこ安い、お店に入って目についた物をてきとうに選んで注文した。 出てきた物がフライドポテトに焼いたソーセージを乗せてサルサソースをかけた物だった。いかにも油っぽそうで、ヘビーな感じだった。 味はなかなかいけて美味しくいただいたがこれが夕飯は少し脂っ
キューバを出て今コロンビアのメデジンにいます。 キューバはなんか久しぶりに騙されて、初っ端から痛い思いしましたが…最後には助けてくれる人がいてどうにかこうにかなりましが… どこの国にも騙そうとする人もいれば助けてくれる人もいる。 なんか今回の一連の出来事で流れに抗わず流れに乗れたかなと思う。 キューバは自国の通貨に信用がなく住民の人達は外貨を求め、キューバペソは外貨に両替する事が不可能で、家電とかは外貨建て口座のクレジットカードでしか払えないらしい。 現に僕はUSD
約3年半ぶりに海外に出てみて、どうすればわからなくなってしまった。 どんな感じに現地の人と話していたかとか、どんな感じで過ごしていたとか 細かいところを挙げたらキリがないけど、、、とにかく初日は戸惑った。 その上に時差ボケと若干高山病気味な体調で手放しで楽しーなんて思えなかった。 今日2日目に特にやる事ないからコーヒー屋でも巡ろうかなとネットで出てきた所に行ってみた。 こっちのバリスタさんもみんなコーヒー熱が高めでテイスティングの事とかしっかり説明してくれて、会話は弾
なにをする なにをしない なにになる なににならない こんな言葉が重要視されている様に感じるこの社会。でももし何かを変えたかったりするのならば、もっと大事な事があるのではないかと思う。 というか科学的にもスピリチュアル的にもそこは一緒で、やはり最初に心、潜在意識、思考を変えないと現実は変わらないし、結果も変わらないと思う。 僕が子供、学生時代の時は周りの大人達は表面上(行動など)を変えるようにアドバイスしてもらって来た。でも僕がいくら頑張って行動などを変えて、良い
約一年半前あるウィルスが世界を震撼させた。そのウィルスは瞬く間にグローバル化した世界中に広がり人々を不安と恐怖のスパイラルに落とした。 このウィルスは賢く、ある人には症状が出ない又は軽く済み事により、そのウィルスに感染していても気づかず、感染者が移動する事で多くの人にウィルスをばら撒ける。そうする事で自分達の種を存続する事ができる。 世界は人の移動行動を規制する事でどうにかウィルスの感染を減少する事ができたが、ワクチンが出るまで、特に有効な手段がなかった。しかしワクチンが
僕が瞑想という物に出会ったのは、約3年前の夏頃だっただろうか。。。 僕はトルコからイギリスに飛び立ったしかし、僕はイギリスの入国審査で引っかかりいろいろ尋問され調べられて、入国後の予定を明確に証明できない理由でトルコに送り返された。 お金も底を尽きかけており、オーストラリアに戻りもう一度働こう考えていた。 しかし確定申告を出したのになかなかそれが通らない… お金がどんどんなくなっていき不安が募る中、その時トルコからバンコクに飛んでいた僕はタイの北部にお布施で滞在できるお
そんな感じで毎日が過ぎて行った。滞在4日目飛行機の関係で僕は次の日にここを出ないと行けなかった。 それをダニャールに話すと「ok!わかったよ」の二つ返事が帰って来た。朝の仕事を終えて手を洗っているとダニャールが「一つだけ気をつけてほしい事がある」と僕に伝えて来た。何かなと思い聞き返すと「君はいろいろな霊を背負っているから気をつけなと」と言われた。 僕は少し思考が止まり、少し考えてから「それは悪い霊?」と聞いたそしたら彼が両方と答えた。 それからみんなで朝ごはんを食べてい
川は家から歩いて2、3分の所にあり、川辺には雪が積もっていたが川は凍らずただ流れ続けていた。 ダニャールは意気揚々と「俺はここで泳ぐから」と宣言して服を脱ぎ始めた。アスランは頑なに泳ぎたくないとダニャールに言っていたが、何やら説得をされていた。 5分後アスランも泳ぐといい服を脱ぎ始めた。日がさんさんと照っていて太陽が高かったが、確実に気温は氷点下をしたまわり、川などに入る物なら凍えるのは目に見えていた。 しかし彼らは何も躊躇なく入っていく。「これがローカルスタイルだ」と
朝まだ外は暗い中、ダニャールが起き出す。僕は夜中暖炉の火が消えてしまい寒さで目覚めてから中々眠れなかった。ダニャールが目で「行くよ」と合図する。 僕は重い体を起こし、靴下、上着を羽織る。外は真っ暗でライトがないと何も見えない。ダニャールについて行くと牛小屋に着いた。彼が扉を開けると雄の牛たちは何も合図をしたわけでもないのにノソノソと広場の方に移動して行くのを見て驚かされた。彼らは本能でわかっているのだ。 そこから僕らの仕事が始まる。まず牛小屋のフンを集めて肥溜めに運び、エ
シャーマンの家にたどり着き無事に家に上がらせてもらう事になった。 緊張しながらそろそろと家の中に入って行くと50代ぐらいの体型がいいおばさんが中で肉を切っていた。笑顔で「中に入りな」と僕に手招きをしてソファに座らせてくれた。家の中は薄暗く、カマドと大きいテーブルにそれを囲む様に7〜8人ぐらい座れるソファが置かれていた。部屋の奥には人が寝れる用に台が敷き詰められていてマットとブランケットも用意されていた。 体型のいいおばちゃんは作業を途中で止めて、お茶とお菓子を用意してくれ
ウイグルのウルムチから36時間揺られてカザフスタンのアルマトイに電車で抜けて来た。アルマトイはカザフスタン最大の都市と言われているが、日本人からしたら大きい街とは思えないだろう。冬だからだったからか通りには人通りが少なく街に活気がなくどこか寂しげな雰囲気があった。 アルマトイに来たのはアルマトイ周辺にシャーマンが住んでいると聞いて一度会って見たいと思い訪れた。しかし情報はネットで調べた情報のみで、住んでいる正確な場所などはわからなかった。 とりあえず同じホステルに滞在