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雨と多面体

秋をすっ飛ばして冬になる。どんなイリュージョンだか知らないが、日本には四季があるから美しいんだとドヤっている類のおっちゃんは今どんな気持ちなんだろうねと言う悪意に似た気持ちがある。

自然が人間の思い通りになんてなるわけもなく、気象予報は化学が発達しても外れる時は外れる。お天道様が見ていると言う猜疑心丸出しの思想が薄れても、空に太陽がある限り、何がしかの存在はあるのだろう。

急に寒くなったものだから、なかなか気持ちと体がリンクしていかずに、移行期間すっとばして法律改正で施行されたみたいな違和感があるけれど、それにすら人間は慣れていくから、生きていく強さとはそのことかもしれないと感じる。

今日は雨降りで、梅雨時ほどではないが湿度が高まり、砂漠化が進む我が頭髪も天然パーマの回転芸を遺憾なく発揮している。羊のくるくるは可愛いが、中高年のくるくるはひどいものだ。

雨は嫌いではないが、単純に傘があまり好きではない私にとっては苦手である。小降りならまだいいが、雨曝しなら濡れるがいいさとはなかなか思えないような叩きつける雨には心が折れる。傘を刺してなお濡れるような雨なら尚更。

スネオヘアーの訳も知らないでみたいな世界観で生きていけたら、雨の日も疎ましく思わずにいられるだろうか。悲しい情景とリンクされやすい雨だけれど、必ずしもネガティブな側面ばかりではないと思っている。秋冬の雨だけかネガティブなのは。

今日の雨も、いつかまた降る雨も、何かしらの意味を人は重ねてしまうのだけれど、どうせなら重い想いばかりでなく、多面体な雨であることを忘れずにいたいものだ。


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