すべてのゴミ箱を空にする
ゴミみたいな怒りや苛立ちの感情を昇華させるには、できるだけ小さな幸せと喜びを混ぜて攪拌すること。一つの感情だけだと、液状化して頭から爪先までその感情に支配されてしまうから。
悲しいことを忘れるために喜びがあるわけじゃないし、対処療法としてしか喜びを味わえなくなってしまったら、麻酔に耐性がついて痛みを軽減できなくなってしまうように喜べなくなってしまう。
結果としての凝固の素材に喜びがあればいい。それを呼び込むために音楽があり、小説がある。召喚に必要な素材だろうか。自分にとっては糧でありガソリンであり、水であり酸素だから、そのために集めている感じはしないのだけれど。
今は現実でも、インターネットでも気分次第で人を簡単に切り捨てて何も感じないような人が増えていて、そのことに一喜一憂するのがバカバカしいから感情に絶縁体を組み込んでしまいがちだから、それは人生を捨てているのにも等しい(私の場合はだし、防衛本能としての備えではあるが)からな。
生きている限りはネガティブな出来事から逃れることはできないし、過敏な心の皮膚感は体質だから治せるものではないのだろうから、あとはいかにその皮膚に触れるものを柔らかにできるかという問題。
ひとつひとつを受け止めていたら、あたまが壊れてダメになってしまうから、それを音楽を聴くことでずらして、嬉しい楽しいちょっと好きで固めてゴミ箱に捨てる。
当たり前の話だけれど、現実のゴミ箱もPCやスマホのそれも、そのままにしておけば溢れてしまうし、部屋を圧迫したり、悪臭を放ちだしてしまう。ゴミ箱はゴミ箱へで完結してしまうわけにはいかない。
腐った感情を固めた遺灰物は、どのようにかして処理しなければならない。穴だらけの心の暗部に埋め立てるのか、感情の業火で灰になるまで燃やし尽くして風にさらすか、いずれにしろ方策は練らねばならない。
ゴミ箱を幾つか用意して、黒い気持ちを見えないように仕舞い込んでも、根本的な解決にはならないのだ。まして、そうして遠ざけていたつもりの負の遺産は、ある瞬間にガスを放ち爆発してしまうかもしれない。
そうならないためにも、断捨離だなんてものを捨て切らなかったことを正当化する言葉に頼らず、傷付いたら我慢しないでそれを受け入れるなり、噛みつき返すアクションをしていく必要がある。
それは一見不毛なことのように思うかもしれないが、傷ついた時にわかったような顔で自分を納得させる必要がある。ゴミはゴミ箱へ。ゴミ箱の中のものは分別して焼却昇華する必要があるのだ。
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