音楽に救われる-Rescue of music
私は音楽に救われたことがある。
もっとも、音楽というものが、祈りや願いを神なり自然に対して届けるために生まれた物であるとするならば、誰かの祈りにフリーライドしていることになり多少のやましさは感じるけれど、それでも音楽が呼吸しにくい気持ちの通気口になってくれたり、玄関になってくれた時期がある。
サイモン&ガーファンクルのように、暗闇を僕の友達とは思えず、さりとて明るいポップスや今でいう陽キャみたいな根明文化にも馴染めない地方の民は、ラジオから流れてくるノイズ混じりの音楽にワクワクしていた。
高校までの親友は、とにかく耳が早く、周りがヒットチャートに夢中な中、NIRVANAやらBUCK-TICKやらグランジやらを教えてくれた。ユニコーンもBUCK-TICKも彼から本格的に聞かせてもらった記憶がある。
実験サウンドやスタイルを変えていくバンドが好きなのは、最初に刷り込まれた音楽体験とアーティストがその傾向の強い人たちだったからだろう。思えばビートルズなんて外見含めてその代表みたいなものだし、考えてみたら幸福な音楽との出会いだった。
変わることを恐れない。開拓者の精神なんて簡単に言うけれど、人は基本的には保守派であろう。根を下ろし、安住の地を求める気持ちは強くあると思うし、こんなにもあんぽんたんでデラシネな私にすらそれはある。
かつての私はロックンロール一神教であった。でありながら、日本語で歌わない日本のバンドなんて聞かねえよバーカという(のちの私からすればお前こそバーカであるが)思想の持ち主で、ブランキージェットシティであり、ミッシェルガンエレファントであり、その他、所謂ロキノン系ばかりを聴いていた。
ぶち壊したのはBEAT CRUSADERSであり、SOUND HORISONであった。前者は私にエモやメロコア(一時期、蛇蝎のようにこのジャンルを嫌っていた)や前述した英語詞を聴かせ、後者はクラシックやジャズの扉を開いてくれた。
開きすぎて、そこから世界の民族音楽やらアンビエントやら般若心経まで聴くようになったのは良かったのか悪かったのか。お経はトランスのようだと思う。ガムランしかり、祈りというのはどこか通ずるのかもしらんが。
今でも、不安定な気流の中を遅刻しながら飛ぶような心境で生きる自分にとって、音楽というのは日々に注ぐ日光のようであり、空気であり、水である。依存というレベルでなく、なくてはならないものだと思っている。
同じくらい、言葉は私にとって必要な物で、世界から押し付けられる普通というものに馴染めない落伍者である自分を、どのようにか成り立たせて歩かせてくれるものが言葉である。
高校出るまで漫画くらいしか読まなかった私が、母の急逝の欠落を埋めるように、彼女が好きだった読書という習慣に触れて、イリーガルドラッグに依存するかのように引き込まれていくまで時間は掛からなかった。
読み初めに京極夏彦、中島らも、大槻ケンヂという中毒性の高い作家に当たったのも間違いなく影響している。刷り込み効果は音楽でも小説でも私生活でも間違いなくあると思う。三子の魂百まで理論は伊達ではないのだ。
祈るということ。正直なところ、特定の神様を信じていない私が祈る時に、願う相手や対象は運命や宿命のような大きな流れに対してだと思うのだけれど、意志を持たずに粛々と流れ続ける運河のようなそれは、個人の声など届かぬように流れ続ける。だから、それが叶うことはない。
ないのだけれど、理不尽な現実を前に、自分にとって寄り掛かれる依代というか、支えになるものを求めてしまうのは、あるいは本能なのかもしれない。溺れるものが藁をつかむような。
水面下とそれより上、現実と空想の境界線上で、私は音楽に浸りながら呼吸をする。ぶくぶくと泡がたち、わずかに口に侵入する水を疎ましく思いながら、境界で祈るように音楽を聴いている。
救われたいから、救われるわけではないし、祈るから救われるとは限らない。それでも私は音楽を聴いて、勝手に救われてしまうのだ。