101回目の手紙たち
この記事で101本目らしい。つぶやきが主たる数とはいえ、6月4日に始めてから2ヶ月で、それだけの言葉を書き記したというのを改めて考えるとなかなか。
多ければ良いわけではないし、即興性が至上というわけではない。塵も積もればというように、折り重なる言葉が山になっただけだ。それが塵であれ糧であれ、誰かに少しでも響いて届いたのならありがたい。
1番最初に手紙を書いたのは誰に向けてだったのか。おそらくは保育園なり幼稚園で、家族に向けて書いてみましょうという課題を与えられ、それを素直に実行したときではないだろうか。
自分は文章が得意でなく、そもそも高校を卒業して少しした頃、本好きだった母が急逝するまで、自ら活字の本を読もうと思ったことはなかった。
国語の成績は悪くなかったし、今に通じる底意地の悪いひねくれた文章を作文などでは書いていたが、課題でもなければ自分から書くことはなかった。
そんな人間だから、最初に書いた手紙と言っても、おそらくは、お母さん大好きとか、いつもありがとうといった感謝の類であっただろうが、無邪気であるが故にその手紙に込められた無条件の愛はさぞかし柔らかなものであっただろう。語彙を持たぬ故に伝わる愚直さ。
はじめて主体的に書いたのは小学生で好きになった子に書いたラブレターだった。SNSはおろか、Eメールすらない時代には、フィジカルの便箋に想いを込めた手紙を封じ、直接渡すしか術がなかった。
一晩考えて、7つ年上の姉に生き恥をさらしつつ校閲をお願いしてまで書いた手紙は、その好きだった子の友達2人と回し読みをされるというひどい結末を迎えるのだが、想いを言葉にするという経験ができたのは悪くない原体験であろう。悲劇かつ喜劇的な終わりがその後の私を暗示しているようで笑ってしまうが。
言葉は、誰かに読まれることを前提として発せられる。ノイローゼの壁につぶやくようなものであれ、無意識さんから自分へのお手紙なのかもしれない。
いまこうして書いている言葉は、隠遁者が引き篭もった洞窟の壁に、かつての言葉を持たぬ民が祈りのように彫った壁画なのかもしれないし、寒い夜に焚き火に寄り添った旅人同士の会話のような、投げかけた言葉なのかも知れない。
何かの縁で、この言葉に触れてくれているあなたに感謝と、このろくでもない世界のろくでもない国の、それでも愛しい言葉たちに出会ってくれてありがとう。
愛でも恋でもなく、想いを伝えるための手段が手紙のようなこの言葉であるなら、これからもまだ見ぬ景色で出会う誰かに書き続けられたらいいな。