蝉鳴くブルースは悲しく
夏の盛りに蝉が鳴く。なぜ夜に蝉が基本的には鳴かないのか気になって調べて見たところ、蝉が鳴く要件には気温と明るさがあるそうだ。
したがって都心の蝉は夜でも鳴きやすいということになる。ネオンの明るさも、ヒートアイランド現象による気温の保温もあるからだ。田舎より蝉の声を楽しめる時間が長いという皮肉な罰ゲーム。夜の蝶も夜の蝉も都会でしか泣けないとしたら、それは田舎のタフな生きていく強さと濃密な人間関係の強制という人情とは違った物語なのだろうな。
蝉は体を震わせ、異性をもとめて鳴く。孔雀の羽根を広げる行為もそうらしいが、子孫を残すために命を震わせて鳴く蝉のオスのいじらしいまでの叫び。そういう必死さと愚かさはオスの特性なんだろうな。アンコウは吸収されてしまうし、カマキリは食べられるし、行為の後のオスは悲しい結末を迎えやすい。
自分はフェミニストは好きではないが、フェミニズムには学ぶべき部分があると思うけれど、生物的な成り立ちを考えるとオスは立場が弱く、生命力的に劣るのは間違いない。そもそも生殖は単体ではできぬのだから(最近はバンク利用やらなんやらでそうとも言い切れないが、それとて雌雄の遺伝子情報が交わらねばならんから)足りぬ部分を補えばいいのにね。
閑話休題。夜にもなく蝉について。
上記のように、蝉が鳴くのはオスだけらしいのだが、蝉の世界にも少子化だのオスのメスだとかはあるのだろうか。蝉の鳴かない夏なんてのがあるとしたら、種の存亡に関わるわけで、非婚化の日本の男性はつまりは鳴かない蝉なのかもしれない。
疫病や災厄は地球が人間に対しての抗体であるというガイア理論はあるけれど、近代化を迎えた国では出生率は下がりがちというし、自意識の発達や体を使うよりも頭で考えることを重要視しすぎると本能やフィジカルが鈍るってのも皮肉な話だが魂の伝令なのかもしれない。
増えすぎたから、そろそろ調整してねというメッセージ。
蝉が鳴くように、鳴かない蛍が身を焦がすように、誰かを想い想われる季節がある人は幸いかとかしれないが、誰かのノイズになり得ることを考えたら、気後れしてしまったり、その季節に馴染まない個体は一定数存在するだろう。鳴かない鳴けないオスもまあ存在する。
鳴こうが、鳴くまいが、いつか命は終わる。必死だなと冷笑的に過ごすよりは、鳴くべき時期に鳴いたらいいと思うけど、みな鳴くべきだなんて指図をされたくはない。夏の終わりが来て、初めて小さくなく蝉がいてもいい。
その声はブルース。悲しければ悲しいだけ重く響く。夏の夜、遠くではまだ蝉が鳴いていた。
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