苦手な言葉

推しという言葉があまり得意ではない。嫌悪感があるわけではないし、推しは推せるうちに推せみたいな新時代の標語じみたものは好きなのだけれど、自分の大切で応援したり追いかけている存在を推しと呼ぶことが苦手なのだ。

例えば売春行為を援助交際と言い換えたり、パパ活と名付けることで、なんとなくそれらをカジュアルなものに見せかける手法がある。それは整形の前にプチをつけることで入口としてのハードルを下げる呪術に似ているような気がする。

物事に潜む背徳性みたいなものは、隠せば隠すほどに増していき、逆にあからさまにすればするだけ即物性というか俗物性が顕著になっていくような気がしていて、電車の中で化粧をする人がなんとなく疎ましく感じるのと通じるものがある。秘すれば花という言葉の方が好きなのだ。

だから、この人を推しているという公言よりも、静かに地味に応援していたい気持ちからそういった言葉に対しての気後れがある。誤解してほしくないのは、推しという言葉を使って愛を告げている人の否定やディスではなく、偏屈で陰鬱な私は使うのに気後があり苦手だということなのだ。

おそらく、流行り言葉に限らず、それぞれの人がなんとなく苦手にしている言葉があるのではないだろうか。例えば私は前向きという言葉やポジティブすぎる類の言葉がドラキュラに対する十字架レベルで嫌いだし、受験生にとっては試験という言葉を敬遠する人も一定数いるだろう。

そうでなくとも、あらゆる言葉は呪いであるのだから、さらに苦手とするものに関しては何倍も聞きたくない言葉になりえると思う。文化や宗教などによっても変わるんだろうし、時代によっても変わっていくだろう.

Fワードの類に関して嫌悪感は私にはないけれど、中途半端に正義感の強い人はそれらが苦手だろうし(意味を理解している時点で清純やら純粋無垢ではなかろうし)逆に私はキラキラした自己革命的な言葉が苦手。

そういう人が苦手とする言葉の裏側にある心理を調べてみたら案外面白いのかもしれない。

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