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「論語」為政篇
「日本衆愚社会」(呉智英 小学館新書)を再読していると,こんな文に目が留まりました。
政治についていの壮麗で美しい言葉が『論語』の中になる。為政篇の冒頭にある一章だ。
子曰(のたまわ)く,政を為すに徳をもってすれば,たとえば北辰の其の所に居て,衆星のこれに共にむかうがごとし。
(孔子)先生がおっしゃる。政治をするのに徳によってするのであれば,たとえてみると,北極星が天空の中心にあって諸々の星がそれを囲みその方向を向いているようにうまくいくのだ。
さて,これを読んだ時に,学級経営と重なると思いました。
政治を学級経営に置き換えて考えたのです。
つまり,徳のあるこそ教師が,素晴らしい学級経営をすることができるということです。
この考えは,間違ってはいないと思います。
忘れ物をする,時間を守らない,生徒との約束はすっぽかす,だらしない教師がいくらがんばっても,学級はよくならないからです。
しかし,徳だけでもダメです。
学級経営には,教師の哲学と指導技術が必要なのです。
どんな学級,どんな生徒に育てたいのかを具体像として明確にします。
それに加えて,様々な指導技術を使って,学級を作っていくのです。
この話の最後に,呉さんは,こんなことを書いていました。
プロ教師の会では,教師と生徒(児童も)の間には,教育ー被教育,指導ー被指導という身分関係が必要だと主張する。細かい異論はともかく,大筋ではその通りである。というより,あらゆる集団,あらゆる社会で,その通りなのである。
来週から,新年度が始まります。
新規採用の先生たちは,希望と熱意にあふれていると思います。
しかし,生徒のために一生懸命に頑張るだけでは,学級づくりはうまくいかないということを肝に銘じておく必要があるのです。