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指導か支援か

随分昔のことですが、ある先輩教師からこんなアドバイスをされました。

学習指導案ではなく、学習支援案を書くことが大切だ。できれば、生徒一人一人にあうような個別支援案を書くほうが望ましい。

当時は、「指導」ではなく「支援」という言葉を使うべきだという空気が広がっていました。
校内暴力が吹き荒れた時に、教師の強い「指導」が多かったことを反省した結果なのでしょうか。

「支援」という言葉は、何となく子供を人格が完成している人間のようにとらえているように思えます。ですから、教師が主体となり進めて行くのではなく、子供の力を信じ、子供に寄り添い、子供を支えるような教育がいいという感じでした。

果たして、子供は人格が完成しているのでしょうか。完成とは言わなくても、ある程度完成していると言えるのでしょうか。
子供は人格形成途上にあるのです。ですから、ある時は間違い、ある時は迷い、ある時は失敗するのです。

それをより良い方向へと導くのが教師だと思うのです。(もちろん、家庭や地域などの大人の力も大切です)
ですから、「支援」を強調する教育観が広がっていくと子供がより良い方向へと成長できるのか不安になります。

学校教育法を調べてみると、
第31条に「目標の達成に資するよう、教育指導を行う」という文章があります。
法的には、教師は「支援」ではなく「指導」を行うべきなのです。

そのためには、教師は、様々な経験や修養と研究を積み重ねて、指導観を確立する必要があると思います。

「内外教育」(第7202号 時事通信社)の「ラウンジ」にこんな文がありました。

「基礎・基本の定着」と「個に応じた指導」はセットで語られてきた。「指導」と「支援」の双方の考え方は共に重要であって、バランスの取れた実践が必要であることはいまさらいうまでもない。

「内外教育」(第7202号 2024年11月)

納得です。