教師哲学こそ重要
ようやく「野口芳宏 国語学力形成史」(柳谷直明 溪水社)を読み終わりました。教師人生で迷った時や悩んだ時は,必ず野口先生の本を読みます。今回は,この本を読んだ後に,2冊だけ持っている「国語人」も開いてみました。教師とは何か,授業とは何か,教育とは何かなど今まで出会った多くの先輩教師からは,明快な答えを得ることができませんでした。(もちろん自分が学ぼうとする姿勢や意欲がなかったことも原因の1つです)しかし,教師10年目に,野口先生と出会ったことで,すべての見方や見え方が変わりました。この本の中で横山験也さんが,こんな文を書かれていました。一部を引用します。
「授業哲学に基づいた修養は,技術的な学びに比べて極めて地味であり,目立たない。(中略)修養の伴わない技術で進む授業は,展開のうまさはあるがやせている。」
新しいものがトップダウンで入り込んで「ビルド&ビルド」の教育現場でアタフタしている教師が多いように思います。
教師人生が残り1年になった今だからこそ,教師哲学の重要性を
痛感しています。私自身の教師哲学もまだ未確立ですが,今後も学び続けていき,教師哲学を発言できる教師になりたいと思います。
柳谷先生のご尽力に対して,心より感謝申し上げます。