その1:〇〇がない!でも私は何もしていない
そもそもの始まりは
母が2021年に急性胃潰瘍で下血して救急車で運ばれたこと。
この記事にその時のことを書いてます。
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その過去記事で「母が小学生頃の辛い経験」は
実はそれだけではなかった。
ということがこれからわかっていくのですが・・。
とにかくは、この事態をきっかけに
母の言動が少しづつ変わってきたんです。
それは「ものがなくなる」ということから始まっていったような気がしています。
私のものをどこにやった?
「私の引き出しの下着がなくなっているの・・・」
そんなことが始まりでしょうか。
「パパが私の下着を探っているんじゃないかしら・・私は絶対に場所を変えたりしないんだから」
※ちなみに母は父のことを今も「パパ」と呼んでいます。
そんな話を聞いた時、
え?うちの父親って女性の下着に興味あり!?
あんなに真面目で堅物な父親に!?
ストレス発散!?そういうところに心の逃げ道を作っていたのか!?
と、母親の話を真っ向信じていたんですよね。
それはそれで私の心の隅っこに留めておきながら、
父親の様子を観察していたように記憶しています。
だって、本当にそんな趣味があったら、
それはそれで、結構深刻・・ですものね。
父親の心を整えてあげるにはどうしたらいいんだろう・・
そんなことを考えていました。
ところが、母親の言動に少し変化が出てきて・・
「今まで下駄箱にあったサンダルがないの。
パパが誰か女の人にあげたんじゃないかしら・・。」
「下着のことだけど、誰か他の女性にあげているんじゃないかと思うの・・」
と、絶対あり得ないでしょ〜!
ということを言い出したんです。
読者の方にはまだ父の性格がどんなものかをお伝えしていないので
いや〜あるかもしれないよ・・とお考えになる方もおいででしょう。
父や母の性格については、機会があればご紹介しますが、
とにかく今ここでは「ない」といわせてください。
またある時は、
「お金がなくなっているの・・。パパが隠したんじゃないかしら」
と言い出すことも。
結果、後になってそのお金は母のベッドパッドの下から見つかりました。
自分でそこに置いたのかもしれないとは言っていたものの、半信半疑。
私はそんなところに置かない。きっと父が隠したんだと言い張っていたんですよね・・。
そういえば、救急車で運ばれる前、まだ70代後半の時にも
一度「お財布が無くなった事件」があったんですが、
その時にも「パパが隠したんじゃないかしら・・」ということを
言っていたんですよね。今思えば・・。
その頃の父は、よく私に「どうも認知が始まっているんじゃないかと思うんだよ」と私に耳打ちしていたことも思い出します。
いずれにしても「ものがなくなった」という時に、
母は「自分でどこかにやってしまった」という発想が一つもなかったんです。
父が隠した。もしくは、
父が他の女性にあげている。
という感じで、自分以外の誰かのせいにしていた。
ということです。(父が必ず関わってるというところがポイント)
こういう発想は以前の母からは考えられないところで、
今にして思えば、これも認知の一つの症状だったのかもしれないなと思うのです。
そして「ものがなくなった」ということに加えて、
今度は「ないものが見える」という状態になっていくのです。