マンダロリアン感想戦後の感想
マンダロリアン最終回の感想記事を書いて少し経ったその夜に、マンダロリアンの良さを改めて考えたら浮かんだことをつらつらと書いてゆきます。
感想戦後にプレイヤーまたはコメンテーター(がいたとして)が雑談しているような雰囲気だと思ってください。
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マンダロリアンで証明されたのってスターウォーズの世界観にはまだまだ利用価値があるってことだと思うんです。
ぼくがスターウォーズ史上最高傑作だと思っているローグワン(SW初の実写スピンオフ)は、そういう意味ではその先駆けだったと思うし、揺らぎない。
だけどマンダロリアンにはあってローグワンで足りないものがあって、それは人間の実在感だと思う。キャラの掘り下げが足りないといえば分かりやすいかもしれないです。
ローグワンはキャラが多い。ローグワン部隊、反乱同盟軍の幹部たち、ヴィラン(帝国軍)、ほかソウゲレラやゲイレンなどのおじさまたち(もしかしたらディズニーがキャラのオモチャをいっぱい売りたいからかもしれないけど。そんな下心を詮索しても無意味だ)。これだけ出てくれば2時間のドラマでの掘り下げは難しい。マンダロリアンでフォーカスされた人って、シリーズ通しても10人いないでしょう。だから話の深みも出てくる。
でもローグワンの方が好きかもしれないのは、多分ラストでダースベイダーが絶望感ましましで無双していた姿がかっこよかったから。100点の映画を10,000点にした。あのフォースとライトセイバーを使う人らの人外感(?)は後にも先にも味わえないと思うのです。
......ここでふと一つの不穏な仮説が湧いたんですけど。
スターウォーズ第1作の「新たなる希望」も実は同じように作れたかもしれないということです。ベイダーの不気味さって、やろうと思えばもっと強調できたと思う。具体的に言えば、オビ=ワン・ケノービを出さなければ、超人はベイダーだけになったということです。ほかは才能が未開花のルークとレイア、ソロとチューイ、ほか両陣営の軍人だけですからね。“荒唐無稽”(スペースオペラが得意じゃない人にとって)な剣の戦いが起きなかったし、何かあればオビがなんとかするみたいな安心感もないわけで。
いやいや、でもオビがいなければルークはずっとタトゥイーンで夕陽見てただけだろうし、話進まないし...そもそも伝説のジェダイという存在自体がストーリー上のキーだったので本末転倒です。そもそもローグワンでベイダーが輝いたのは、それまでのシリーズの積み上げがあったからであって、一作目でそれを想定するのは循環論法的だ。
マンダロリアンが素晴らしいと感じるのも、ドラマがしっかり出来ているからっていうのもあるけど、やっぱり積み上げられてきたSWの財産を巧みに引っ張って丁寧に作られているからであって、もっと言えば世界観を再構築できるクリエイターがいて、そしてそれを楽しめるファンがいるから成り立っている作品なんだろう。
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