奥行きたっぷりな棚を活用した立体的な自己紹介
自己紹介をします。
といっても、好きなアニメや漫画、音楽を声や文章でではありません。コレクションを用いて立体的にやります。
ぼくの家には、縦50cm・横50cm、奥行きもそのくらいの区分けができる、そこそこ大きな収納棚があります(以下、エリア)。
いきなり何を言い出すんだという感じだと思うのですが、これを使って自己紹介をします。使うのは、この棚と、所有する本やフィギュア、CD、その他諸々のコレクションです。
これらのコレクションを立体的に並べていき、自分の好きなジャンルを可視化するという試みです。
エリアは3つあります。この3つのエリアには、ただ好きなものを並べるのではなく、ちょっとルールを設定しました。
① 好きなアニメや漫画のエリア。いわゆるオタク的趣味。
② 自分をかしこく見せたいエリア。好きは好きだが、やや学問的。
③ 自分のルーツ。①・②の源流。
3つのエリアを①②③という区分けをして、それぞれに該当するものを並べていった感じです。
作業の順番としては、①と②を先にひたすら並べるという感じです。
なぜかというと、単純に、現在好きなものや興味があるものを本棚やフィギュア棚からひっぱり出すだけだからです。
そして、③は、①と②を並べながら、「そういや自分は幼い頃にこんなものが好きだった」「こういう環境にあった」というように連想ゲーム的に探究していくイメージで作り上げます(これは結果的に気づいていったものです)。
それぞれのエリアに格納するものをわーっとぶちこんだら、あとで視覚的にわかりやすく、立体的に見えるように整えていきます。整えるときには、似たジャンル・関連するジャンルをなんとなく隣接させていくイメージで。
では、最初に①から作っていきます。
① 好きなアニメや漫画のエリア。いわゆるオタク的趣味。
並べてみると、やっぱりSFとかメカ系とか、あとはアクション系とか、その辺のジャンルのアニメやゲームが圧倒的に好きなんだとよく分かります。外連味のある映像であったり、作り込まれた世界観であったり、そういうのが大好物です。きらきらした映像もさることながら、(荒廃した世界で)主人公をはじめとした人間がどう生きるかを問われるような作品が好みなんですね。宇宙戦艦ヤマトはストーリー的にはそうですし、風の谷のナウシカなんてもろにそれがテーマになっていたりすると思います。
(そういえば、宮崎駿の最新作「君たちはどう生きるか」ってどんな映画になるんですかね。吉野源三郎の小説とは関係なくてファンタジーになるみたいですが、やっぱりナウシカ2の開発コード的な何かなんですかね。)
映画要素では、手前にスターウォーズ、奥には見えにくいですが、プレデターやエイリアン、ジャン=クロード・ヴァン・ダムの映画それから20世紀FOXの名作のメインテーマを集めたオムニバスアルバムがあります。
ぼくにとってのSF映画の入り口はプレデターであり、アクション映画としても特別な映画の一つです。造詣やSF的な設定、そしてあのシュワルツェネッガーをも凌駕する力の持ち主であるプレデターは、心に突き刺さりました。プレデターシリーズには「エイリアンVSプレデター」なる作品がありまして、そこではエイリアンを人類の仇役として、人類とプレデターとの共闘が描写されていて、ヒーローとしての要素が高まっていき......とプレデター愛を語るのはこのくらいにしておきますがが、大事なのは以下の二つです。
一つは、SF映画の金字塔であるエイリアンに触れることができたことです。はじめはプレデターの敵だし、プレデターと対比したら気持ち悪いやつなので苦手だったのですが、試しにエイリアンの初作と第2作を観てみると、SFとしての作り込みと、世界の奥行きに感動しました。SF映画って難しいイメージが強かったものの、エイリアンのホラー演出やスリリングさというのは非常にわかりやすかった。SF映画を楽しむことができることになったきっかけになった作品です。
もう一つは、Wikipedia情報からでしたが、ジャン=クロード・ヴァン・ダムを知ったことです。プレデターのスーツアクター(つまり中の人)には当初はヴァンダムが起用されていたが、のちに降板することになりました。その経緯については正直「へー」だったのですが、惹かれたのは名前です。"Jean-Claude Van Damme"って字面と声に出したときの響きでもう気になって仕方なかったわけです。調べてみるとアクション映画に何本も出ていて、その頃は洋画のアクション俳優といえばシュワルツェネッガーくらいしか知らなかったぼくでしたので、ヴァンダムはアクション俳優の黒船の黒船となったのです。
もう一つ大事なことがありました。それは、映画・作品のつながりというものを意識したことです。
映画って単作であったりシリーズであったりいろいろありますが、作品は作品内で完結しているものだと思い込んでいたんですね。でもそうじゃなくて、プレデターという映画を起点として、別の映画作品や俳優というものを意識するようになった。もうちょっとそれを意識するようになると、監督や音楽の作曲家つながりで映画を知るようになっていきました(ちなみに、プレデターやエイリアンは20世紀FOX作品ですので、先ほどのオムニバスアルバムにも収録されています)。
インターネットの展開と一緒に成長してきたような年齢なので、データソースはネットが中心、というかWikipediaが大半だったわけですが、Wikiのリンクを通じてたくさんの作品の情報を取り入れて、近所のTSUTAYAで映画をレンタルするということを繰り返すことで、映画好きの部分が成長した感じです。
プレデター、エイリアン、ヴァンダム、そしてFOXのサントラというのは、こうした部分を説明しているところになります。
図録
ゴジラ対メカゴジラのコレクターズBOX、宇宙戦艦ヤマト(1974年)のDVD-BOX、スターウォーズのメイキング本、貞本エヴァ、トップをねらえ!、メタルギアソリッド(伊藤計劃)、007本(ロジャー・ムーア著)、ニーアオートマタの設定資料集、風の谷のナウシカ(漫画)、ジブリレイアウト展図録、ボウイ展の図録、エイリアン ギーガートリビュートBOX、プレデター、「その男 ヴァン・ダム」、20世紀FOX作品のメインテーマ集、ゴジラサントラ、ホドロフスキーのDUNEメモ帳、ベイダーマグカップ、ジュラシックワールドペン、シンゴジラペン、シンゴジラ、初代ゴジラ、スターデストロイヤー、ミレニアムファルコン、キャプテンレックスのミニフィグ、エミール、ギニュー特戦隊、ヘルシングのポストカード、フリーザ、ワインボトル、メカゴジラのボトルキャップ、メカゴジラのキーホルダー、メタルギアREXプラモ(箱)
② 自分をかしこく見せたいエリア。好きは好きだが、やや学問的。
①エリアと共通するのは車やロケットといったメカで、こういうのがまず目につくんじゃないかと思います。好きな車はジャガーのEタイプ、あとはポルシェの911です。いいなと思う車はたくさんあるけど、結局Eタイプと911に落ち着きます。
また、ここには建築関係の本が多いですが、時代や国によるランドマーク的な建築の本や、摩天楼の原点都市であるシカゴの街並みを収めた写真集なんかがあります。今日の日本の街並みとは切っても切れない関係にある電柱の絵画を集めた図録なんかもあります。建築とはちょっと違いますが、街の歴史を辿るための古地図もあったりします。
メカも建築も、それから服飾や宝石も、作りものや工業、産業、ものづくりといった分野に結び付けられます。そして、それらには歴史的なルーツが存在し、確実にぼくらの生活に結びついている。「なんで作られたか」「なぜ重宝されたか」「なぜロングセラーとなったか」、そうした原点や結びつきを意識すると、世の中を見るときに奥行きを感じられます。これって映画を観るときにもたまに意識することなんですけども。ただアトラクション的な楽しみ方もいいですが、ときどきこのように集中して観てみると別の魅力を発見できて更に面白くなる。
いや、少し違う気がしてきました。
映画を観るとき、画面に登場する小道具や大道具、背景といったものに表現された意味や、その意味が映画のストーリーやテーマにどう紐付いているかをもっと解像度を高めて見てみたいという欲求が知識欲に行きついているのかもしれない。
歴史は歴史で楽しみ方があって、一つの国の単一の時間軸にのめり込むというよりは、一つの出来事が発生した時点での同時代の国や文化の状況を調べてみたり、あるいは一つのジャンルに絞って時空を超えてみたりしています。それこそ建築や都市の歴史とか、ファッションの歴史とか、食文化の歴史とか、そういう掘り下げ方です。
歴史は、MCU(マーベル・シネマティック・ユニバース)みたいなものだと思っていて、「アイアンマン」っていう一つの歴史があって、同時に「マイティ・ソー」っていう歴史が走っていて、ちょっと遡ってみると「キャプテン・アメリカ」っていうものが関わっていたりして、というイメージです。で、あるときそれらの歴史が一つの出来事として合流していくことがあり、またそれぞれの世界観に戻っていく。ぼくらの世界の歴史も、たとえば、冷戦下での宇宙開発の歴史と、ナチスドイツの兵器開発の経緯っていうのは密接に結びつくものであるように、ある出来事が別の出来事に影響しているということは往々にしてあるのですが、自分のよく知る現象と別の出来事との結びつきに気づいたときが一番楽しい。
(歴史については、③でも原体験とその影響を掘り下げていきます。)
図録
ファッションの歴史の本、ジャガーEタイプ、歴代のケータイたちとiPod、建築のカード(トランプ)、高畑勲展図録、東京の古地図、ルドルフ2世の脅威の世界展図録、『起源図鑑』、電線絵画展の図録、シカゴの街並み写真集、ロボット工学の本、市川崑の「東京オリンピック」、『ショッピングモールから考える』、『国際秩序』、石の図鑑、地球儀時計、桐紋の旗、ポルシェ911、ポルシェ911プラモ(箱)、カーズ、建築の歴史本、Союз、『黒の服飾史』、『サピエンス全史』、『銃・病原菌・鉄』、ウェーバーのプロ倫、聖書(版画)
③ 自分のルーツ。①・②の源流。
①と②をつくったら、③をつくります。
自分が、①と②のものを好きになったのはなぜか、どんなものから広がっていったのか。オタク的趣味の①と、ややアカデミックな趣味の②との間に入る、あるいはそれらを深層心理で繋ぎとめるバッファゾーン的な興味・関心ごとはなんなのか。
ちなみに、ここを作っているときには、ELOのTwilightを聞きながら作業してましたので、ぜひ聞きながらこの下を読んでみてください。
並べながら感じたのは、人や環境の影響がけっこう強いなということでした。
QUEENなんかは小さい頃に親が車を運転しながらよく流していた。
Xウィングのレゴ、車の粘土模型なんかは幼少期に見たり作ったりしたもの。作る欲が高じて、ディアゴスティーニのロボットを作りました。小学生の頃にみたスターウォーズには衝撃を受けた。初めてみた宇宙戦艦ヤマトは、「完結編」だった。たどってみると、こういうメカ路線は、親によって敷かれていた。
それとは別に、ドラゴンボールや北斗の拳、ジョジョといったアクションバトル漫画にはまったわけですが、たしか初めて触れたのは「ジャンプスーパースターズ」ってニンテンドーDSのゲーム。これはたしか、小さい頃に従弟に貸してもらって、それがきっかけではまったゲーム。漫画やアニメをもりもり観ることもそうだが、スタンプラリーや展覧会にももちろん行った。
小さい頃にはまったメカ路線と、小学生時代のアクション路線、このふたつが奇跡的に結合して、メタルギアは一番遊んだゲームになった。そして、メタルギアから小島秀夫へと行き、これがぼくの映画好きとなった直接的なきっかけになりました。その影響で、ツタヤで年に一回刊行されてる映画の本に載ってたオールタイムベストムービーを片端から鑑賞するなどした。映画をするどい解釈で面白さを伝える岡田斗司夫の存在は、高校生のときにとても響いた。小さい頃にみたジブリ映画の解釈なんかはやっぱり瞠目させられます。小島秀夫や岡田斗司夫が語る作品はぼくの感性に鋭く届き、新しく出会う作品も多分にあったが、同時に、小さい頃に好きだった作品たちに還り、その素晴らしさを改めて感じ、また成長したからこそ別の角度で解釈することができたと思います。
しかし、小島秀夫と岡田斗司夫は語るというより、ものづくりの人であって、この人たちのその姿勢には憧れを常に感じている。今日まで細々とだが、作品制作に携わっているのはなんやかんやでこの人たちの影響が強いと思います。いま、自主制作でアニメシリーズの多元追憶ストライクエンゼルを作っているが、こうした系譜を辿っていなければ決して制作という行為に帰結していなかっただろうと実感させられるのです。
課題(20210418時点)
とはいったものの、③ではぼくの歴史趣味なんかが表現できていません。②のエリアに並んだ歴史に関する書籍や、建築や都市の成り立ちに関するもの、これらに対する興味の源流が抜けています。
歴史を好きになったのは、小学校の担任が相当の歴史マニアだったのが影響しています。あの先生は、少しでも歴史に興味を持った児童を集めるなり、小グループで『魏志倭人伝』の岩波文庫の原文の読書会を開いたり、神武〜今上の天皇を順番で暗唱させてみたり、ちょっと高校の先生っぽいことをしていた。ちなみに、そのおかげか今でも聖武天皇くらいまではなんとか暗唱できます。
別にマニアックな知識を特定の児童に刷り込むだけの先生ではなくて、授業においても、政治的な出来事だけをストーリー化して伝える一般的な授業とは違って、古代の人々の生活様式の割合が大きかった気がする。生活様式をいまと比較して文明の差はさることながら、現代にどう通じているのかということに重きを置いていたと今では解釈しています。だからといっては結論を急ぎ過ぎな気がしますが、「歴史=政治史の暗記」じゃなくて、当時の人がどんな都市や住居に住んで、どんな服を着て、どんな食べ物を食べて...といった世相(背景)に思いを馳せることが「歴史をする」ことだと思っています。
その思考っていうのは、アニメーションや映画の楽しみ方にも作り方にも影響している。作品のリアリティとは、作品が(ぼくらの)現実的かどうかではなくて、作品内の世界観において世相や人の行動や考え方がどう作り込まれているか、という意味だと思っていますが、その意味でのリアリティを探究するという考え方は、歴史の楽しみ方の応用でしかないのです。それは、宮崎駿や高畑勲の作品群を楽しむ素地となっているような気がしますし、同時に、両氏の考え方がいつの間にか自分の考え方に強く影響していて、②エリアの自分に反映されている。
とはいえ、そのころのものや思考は、記憶としてしか残っていないため今回のこの自己紹介の試みにおいては登場せず、残念ながら不戦敗的な扱いをせざるを得ないのです。
(もし何かコレクションが見つかったらこの自己紹介記事にも追加されていくことでしょう)
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