「スピードハイク入門」を読んで
49歳(2006年)からトレランを始めた。今年66歳。今後、健康維持が目的の運動としては、トレランよりもスピードハイクのほうが自分には適しているのではないかと思うようになってきた。
スピードハイクと言う名前は以前から目にしたことはあるが、その名前から「速く歩くハイキング」をイメージしている。
Amazonで書籍を検索すると、「スピードハイク入門」という本を見つけた。
Kindle unlimitedの対象ではなかったので、K-libネットで借りた。
この本で、スピードハイクというものが自分の思っているイメージと合ってるか、スピードハイクの装備はどのようなものかなどを確認した。
スタイル・装備
スピードハイクはトレランの装備で早く歩くというスタイルだった。
登山やハイキングからスピードハイクに転向するのであれば、休憩と食事の変化は大きいだろう。自分はトレランから転向したので、基本的に動きながら休憩し、動きながら行動食を摂るというスタイルは変わらない。
シューズをサンダルに変えるとさらに動作が軽快になる。究極は裸足だ。サンダルや裸足の軽快さを知ってしまうと、もうシューズには戻れない。
先月、mont-bellのクロスランナーベストパック3を購入した。フロントポケットが充実しており非常に使い勝手が良い。長い登りの前には給水ボトルを満タンにしてフロント荷重にして登りが楽になるか試してみよう。
以前はトレランで半指タイプのグローブを使っていたが、2005年にナチュラル思考の影響を受け、体にできるだけ物を着けないスタイルになりグローブも使わなくなった。それからは素手で木の枝や岩を掴んでいるが、やはりしっかりと掴めるようにグローブを使おうと思い直した。
トレランを始めた頃、具体的な非常時の状況を想定できず、一般的とされるエマジェンシーグッズとファーストエイドキットを揃えた。それから少しづつ使う可能性の低いものを減らしていき、現在では最小限のものになっている。具体的に非常時の状況を想定し、使う可能性の高さではなくリスクの大きさからもう一度考え直したい。
ハセツネは2007年から4回連続参加し、うち3回完走した。3回の平均タイムは約19時間。当時ハセツネの優勝タイムが初めて8時間を切ったことが話題になった。
自分のハセツネの完走タイムを改めて振り返ると、当時、自分はトレラン大会で既にスピードハイクを経験済みだったことに気が付いた(笑)。
登山者の多くがトレッキングポールを使う理由は、バランスを崩した時に重い靴と重いザックのために、自分の体幹だけで素早く体を立て直すことが難しいためだろうと推察する。トレランのように軽いザックとシューズなら、体のバランスを崩した時にも自分の体幹だけで素早く立て直すことができる。自分はトレランを始めた時から荷物を減らしたいことと、手を自由に使いたいという思いからトレッキングポールの経験はない。装備が軽量であればトレッキングポールはデメリットでしかない。
以前はハイドレーションリザーバーを使っていたが、リザーバーへの補給はザックを下さなくてはいけないことと、使った後のリザーバーとチューブの洗浄が面倒なので、最近はザックのフロントポケットに入るボトルを使うようになった。フロントポケットに入るボトルは左右2本で合計1リットル。コース中の自販機等でザックを下さずに補充できる。リザーバーは2リットルものが多いので重い。1リットル分のボトルで補充の頻度を増やした方がザックの重量を軽く維持できる。
体
トレランができる体であればスピードハイクはできる。
裸足ランは2015年から約3年間やっていた。現在、裸足は山を登る時だけで、それ以外はサンダルで走るようになった。たぶん、スピードハイク向けの全身持久力は備わっていると思う。
これがトレイルの醍醐味。自分が最もワクワクする場面だ。たぶん、スピードハイクに必要な巧緻性も備わっていると思う。
2015年から低炭水化物食に変えた。さらに、2018年から1日2食生活に変えた。年中体調はいいし風邪も引かない。昨年、家族がコロナに罹患した。マスク無しで家族の看病をしたが、自分の体調の変化は起こらなかった。シューズを履かない生活になったことも影響しているかもしれないが、免疫力は高くなっていると感じる。
まとめ
スピードハイクはトレランの装備で早く歩くスタイル。自分の思っていたイメージと合っていた。スピードハイクをするために必要な体力はトレランができる体力であれば特別なトレーニングは必要ない。スピードハイクは基本的には歩くので運動強度はトレランより低い。
この本を読んで驚いたのは、「ナチュラルランニング」と「糖質制限」という用語が出てきたこと。また、軽量な装備という点では「ミニマル思考」を感じた。
これらの3つのアイテムは、自分がこれまで生活の中に取り入れてきたものである。まるで、スピードハイクにたどり着いたのは必然的だったように感じる。
或いはこの本の筆者の思考と自分が思考が似ているだけなのだろうか。