おね と よど
おね
秀吉の正妻
甥の小早川秀秋を養子に迎える
正室・おね(北政所) きたのまんどころ
人質として集められた諸大名の妻子を監督する役割も担った
当時としては珍しい恋愛結婚であった。
天正13年(1585年)から
北政所きたのまんどころ(秀吉が関白に任官)
慶長8年(1603年)から
高台院こうだいいん(髪を剃りおとして仏門にはいる)
よど
豊臣秀吉の側室
淀殿(よどどの)
本名は 浅井 茶々(あざい ちゃちゃ)
浅井三姉妹の一人
母は織田信長の妹・市
天正16年(1588年)頃、秀吉の側室となる。
天正17年(1589年)、捨(鶴松)を生む
「淀の方」と呼ばれるようになった
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