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色々な意味で大人の魅力は難しい

アラフォーの主婦の方から依頼されて古民家で浴衣撮影をした。
日本人ならではの大人の魅力を撮って欲しいとのことでした。
この大人の魅力というのが難しい。
価値観が千差万別であり、その根本にあるのが大人とは性的なものをどの程度許容するか、認めるか、刺激物であり、毒と薬の関係にあるからだ。

男女で違う。
男の中でも女の中でも違う。
年齢によって違う。
時代によって違う。
同じような感性でも程度が違う。

そして最大の問題が、自分にとって毒と感じると何故か助平野郎とか淫乱とか言って「断罪してしまう」本能的なものを人間が持っていることである。

だから女性から大人の魅力や露出の多い撮影を依頼されるときは、相手の好み、やりたいこと、どの程度までをよくよく聞いて、撮影も一段落するごとに写真を見せて確認しながらトラブルにならないよう、気持ちよく撮影に乗ってもらいながら行っている。

早い話、女性の大人の魅力を撮るということは、女というものをどう捉えてどう表現するか?
人間としての魅力を男女関係なしに表現するのか、やはり女性という性を意識して女としての魅力を表現するのかをハッキリさせなければならない。
経験的に、ほとんどの場合、依頼者からは女としての魅力、多かれ少なからエロスの要素をどう魅力的に表現するかになっている。

洋服というのはスタイルの良い西洋人の衣装だけあって、肉体を生かすエロスの要素が最初から入っているように感じる。ウェディングドレスだって胸元や背中を見せて肉体美を強調している。
しかし和服はビシッと決めると肌を見せないのでエロスの要素がない。
しかし頸を見せたり崩していくと一気にエロティックになっていく。崩した魅力は洋服よりも強いのではと感じる。

これが西洋人だとそんなにエロスを感じるように思えない。
こういう仕草も洋服とは情緒が違う
光と影の世界に日本独特の妖艶さが生まれる

和室と和服の調和は、そのまま日本人との調和につながっていく。
ヨーロッパで春画が大切に保管されて芸術として認められているのも、その調和の美しさがあるのだと思う。

しかし、これは和服、洋服関係なく、そしてスタイルも関係なく、その女性が持つ雰囲気、仕草によって、エロスはたまらなく魅力的にも、汚らしく下品にもなる。

「性」というのは生殖本能と直結しているために冷静に判断ができなくなってしまう傾向があるのだが、性的な興奮が冷め止んだとき、
もう興味ないから、、、とその姿や映像を見るのをやめるのではなく、冷えた頭で再度見てみると、本当の魅力が見えてきたり、下品でしかないことが見えてきたりすると思う。

風俗やAVのようにエロスそのものを楽しむ場合はそれに耽溺すればいいと思う。
人間の本能なのだから。
しかし、その魅力や美しさを楽しむ、作り上げる、鑑賞する場合は、
人それぞれに感覚が違うので、冷静に、女性の気持ちを確認しながら、絵を描いたり料理を作ったりするときのように微妙な味わいを調整して作りあげる、鑑賞することが大切だと思う。

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