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残したい写真、伝えたい話はどう見て読んで貰えばいいのか

徳島県の山奥にある木頭村には未来コンビニがあることで有名である。
その奥の廃村の中内には大きく羽を広げた孔雀のような大銀杏の大木がある。
知る人ぞ知る大銀杏で、6年くらい前まではある人のブログに写真が出ていたが、今はもうない。ネットのどこをどう探しても出てこない。

こうして貴重な廃村の記録が失われていく。

私が中内の大銀杏の写真を見たときは、車を持っていなかった。敢えて自転車通勤で、休日は列車とバスと自転車で徳島や四国を旅していた。
だから中内という場所を地図その他で検索してなんとなくここだなと確認していた。

2年前に蒲生田岬の温泉で地元の人の阿南と徳島紹介フォトブックで中内の大銀杏が紹介されていて、再度この銀杏を見に行きたいという気持ちに駆られた。
ところがいくら探しても見つからない。
朧げな記憶を辿り辿り、ようやく場所の詳細がわかり出会うことができた。
しかしもう遅かった。

大銀杏の孔雀の羽を広げたような枝は無惨にも枯れ落ちて地面に転がっていた。その老婆のようになった姿に、私はひたすらもっと早く来ればよかったと自責の念に駆られてしかたなかった。ネットで調べたら何でもわかると言う人がいる。そんなことはない。調べてわからないことだらけだ。分かりやすいことだけを色んな人が沢山書いているだけだ。著名な絶景の写真なぞ何万人、いや何十万、何百万人もの人間が写真に撮っている。そういうありきたりの写真のベストの条件で撮影した写真ばかりが大切にされて年中スポットライトを浴びて載せられる。それにまたカメラマンが群がって写真を撮る。ネットに載せる。そしてカメラマンは判を押したように地元の観光に貢献するために撮影したと言う。本当に地元の観光に貢献したいなら、皆んなが皆んな知っている撮っている場所ではなく、もっと他にも沢山見所を見つけて、ここにもあそこにもいいところが沢山ある。だから来てください。ということが必要だと思うのだが。

かつてこの村に住んでいた人の住居が残っておりまだ畑が耕されている。

崩れ去った小屋や放置自転車もある。

そしてこの廃車の存在が在りし日の生活感と賑わいを思い起こさせてくれた。

そして中内集落跡の石碑が堂々と残っている。
村人の愛着が強く感じられた。

こんな山奥でも人々は村を愛して止まず生きてきた。
そういう日本人の記憶は残して伝えたい。
大銀杏のあった場所にはかつて神社があったそうだ。
痕跡は見つからなかった。
そういう話も大銀杏が崩れ去っていくのと同じように人々の記憶からも記録からも消えていくのだろう。

私たち日本人は、カメラマンと意識しなくていいから、こういう歴史の記憶を残して伝えなければと言う思いが私にはある。
もうあと10年くらいで日本中の山奥が廃村と廃墟だらけになり、道も廃道になり、その先数十年経てば痕跡は消え去って森に帰るのだろう。
まだアプローチできて撮って残す最後のチャンスのようでならない。

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