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自由と権威はどちらが尊いのかな、香港で考えた。

香港での市場調査

 今年ぼくが手掛けたプロジェクトのひとつは日本の食料品の海外広報。具体的には日本酒を香港に浸透させるというのがそれです。日本酒を香港で、と聞くと不思議に思う向きもあるかと思いますが、日本酒の輸出額は対北米が最も多く、それに次ぐ市場が香港なのです。結構、意外でしょ。

そんな仕事に取り組まねばならないタイミングで香港では当局と市民との激しい対立と衝突が勃発。中国政府当局、警察と学生を中心とした市民の激しい対立は周知の通りだと思います。ぼくはこの数か月で数回香港を訪れました。当初週末一部の地域で行われていたデモは次第に拡大されています。観光客やビジネスマンが接する限定された範囲では平穏と言えるかもしれませんが、これはもはや内戦状態の様相。中環(セントラル)の金融街を結ぶ陸橋など街のあちこちに対立の痕跡が残されています。

ジョナサン・ハイトの6つの「道徳基盤」

 ちょうど別のプロジェクトで倫理観に関する調査分析をアップデートするという課題を抱えていたので、ぼくはその観点で香港での混乱を捉えることになりました。ぼくが思うに、市民が本質的に目標にしているのは「自由」です。香港の市民は西洋的な個人主義を前提とした教育を受けている点で平均的な中国の市民とは思想的な基盤が異なります。その市民が重要な道徳基盤として掲げているのは端的に言えば「自由」だと思うのです。中国当局は香港という、英国統治という特殊な歴史を持つ都市の特殊性を認めない立場でこの「自由」を奪おう、あるいは制限しようとしており、それに市民が強く反発しているのです。米国の心理学者ジョナサン・ハイトはその著書『社会はなぜ左と右にわかれるのか』の中で「道徳基盤」について論じました。

人間は生来個人的あるいは社会的な善についての直観を持っており、それらは「ケア」「公正」「忠誠」「権威」「神聖」「自由」の六つに類型化でき、この道徳基盤の差異こそが根本的な対立の要因とハイトは考えます。リベラル(左派)は「ケア」「公正」「自由」を重視し、「忠誠」「権威」「神聖」を重視しない。他方、保守(右派)は六つをバランスさせることを望む。左派は上述の三つの道徳基盤の受け皿にしかなり得ず、右派は直観に訴えれば六つの道徳基盤にいずれかに届く。リベラルが保守に敗れ、世界が右傾化するメカニズムがこれです。

左派と右派の対照は、個人主義(自由、平等)と集団主義(権威、伝統)とも解釈できます。さらにハイトは個人主義を猿、集団主義をミツバチに喩えます。近代経済学において人間の行動の九割は利己的な「猿」のメタファーで説明できる。集団的また利他的な「ミツバチ」のメタファーは何かの拍子にスイッチが入ることで発動され、人間の一割を占める。ハイトの言葉によれば「私たちの遺伝子には、ミツバチスイッチが埋め込まれている」ということになります。

自由と権威の対立

 香港における当局と市民の対立をハイトの理論から考えてみると新たな光景が見えてくる気がします。近代的な自己にとって、幸福を獲得する、換言すれば経済的な利益を獲得することは極めて重要で、そのために「自由」が確保されている必要があり、それを脅かそうとする存在が批判されるのは当然。他方、ミツバチスイッチが入った集団にとって「権威」は「神聖」を伴い、それへの「忠誠」を強化するメカニズム。集団内では利他的な精神が働き、集団外の利己的な個人を攻撃することに躊躇はなくなります。利他的な人間から見れば、利己的な人間は敵でしょう。繰り返しますが、個人主義も集団主義もその背後にはハイトが分析した強い道徳基盤を持っており、だからこそ、対立は激しくなってしまうのです。

中国当局による市民への暴力や迫害、人権侵害は当然批判されるべきです。それを認める道徳的基盤はありません。国際社会は平和を破壊する構造的な暴力を全力で排除する必要があります。一方で集団主義や伝統主義を完全に否定することが私たちに可能なのかどうかについても今一度考える必要があります。中国当局も市民もそれぞれの道徳的基盤の上に立っているからです。倫理や道徳とはどうしようもなくパラドクシカルです。これは単純な正解を持つパズルではないのです。

異なる道徳基盤の上に立つ個人主義と集団主義の闘争は自由と権威の闘争でもあります。暴力を伴う闘争は単純に批判されるべきですが、自由と権威の闘争に関して、悲しいことに私たちは簡単に答えを見出すことはできません。自らの問題として心と身体に痛みを感じながら、それでも決して絶望することなく向き合っていくしかないのだと思うのです。

PRキャンペーンの効果測定は現在進行中。2020年早々には9月に実施した事前調査の数字と合わせ、キャンペーン効果を数量化とその詳細分析の作業が待っています。マクロ環境特にPoliticalとSocialの変数が大きく変わる時期のキャンペーンだけにどのような結果が出るか未知数。しかし、これはこれで有意義なケースとも言えます。調査結果の分析が楽しみです。

海野裕の本宅、公式ブログbeyondtextはこちら。


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