演奏の苦しみ――リヒテルについて

ある種の天才について語ることは、その語り口にかかわらず、その神話を強化する仕方でしか作用しない。スヴャトスラフ・リヒテルについての言葉もまた、いかなるものであれその神話に回収される。ブリューノ・モンサンジョンがリヒテルに関するドキュメンタリー映画をつくった際、その題名を《謎(エニグマ)》としたのはいたずらな神秘化を図ってのことではない。事実として、リヒテルは私たちの前に大きな謎としてある。いかなる言葉もその固有名をとらえきれていない。

リヒテルにまつわる様々なエピソードには、一方にその天才の一端を示すものがある。モンサンジョンに「音楽のドン・ファン」と称された膨大なレパートリーや、わずか数日で新曲をステージに乗せられるほどに完成させてしまう能力など枚挙に暇がない。あらゆる曲を弾き切るそのエネルギーは、彼をいまだ現代のピアニストたちの前に圧倒的な存在たらしめている。他方、その愚鈍さを示すことでまやかしを断ち切ろうという言説がある。それは彼が演奏中にときたま陥る制御不能状態や、後年暗譜ができなくなったことをもってその神話を解体しようとする。だがどちらの言葉も、リヒテルという音楽家の全体を見渡した瞬間に、その力を失ってしまう。それはリヒテルという固有名の磁場へと回収され、謎がより強化されるだけである。

そうであるならば、私たちはリヒテルについての言葉を紡ぐことをやめるべきか。そしてそのことで、語られえぬものとしての天才を浮かび上がらせるべきか。もしくは矛盾をいとわずあらゆる語りを際限なく積み上げ、少しでもそのいまだ語られていない余白を埋めつくし、あくまで神話の解体を目指すべきか。

おそらくそのどちらでもない。天才の全貌について語ることが不可能であることを受け入れた上で、その残された演奏から、そのつどリヒテルという存在を立ち上がらせるしかない。そのためには彼の身体に耳を傾けなければならない。

リヒテルはその巨大な手と恵まれた体格でもって、まるで制圧しようとするかのようにピアノに挑む。加えて、高く調節された椅子は、彼の背丈からしたら不適切に思われるほどである。その演奏の身振りはほとんど大げさと言ってよく、時には無骨で不器用な動きのようにさえ思われる。少なくとも、彼の演奏する姿を見る限りにおいては、概してそう映る。だが、これを単に愚鈍だとか繊細さを欠いていると片づけてしまってはならない。事実リヒテルの演奏には、時としてある種の繊細さが聴かれる。そうであるならば問われるべきは、なぜリヒテルがあれほどに不自然な身体の動きをするのか、ということである。

注目すべきは、そのような無骨な身体の動きは、楽曲の技術的困難さとは関係がないことである。例えばシューベルトのピアノ・ソナタト長調(D 894)の映像がある。ほとんど動きのない音価の持続から始まるこの曲を、リヒテルは余計な身動きをせずに弾き始める。だが、4度上で奏されるふたつ目のフレーズに入った瞬間から、その身体はうずき始める。眼はせわしなく楽譜と指を行き来し、腕や肩はねじれを含むかに見える動きをする。しかもその動きは音を出す瞬間だけでなく、音が持続する最中にもみられる。

また例えば、同じくシューベルトのソナタイ長調(D 664)を捉えた映像では、リヒテルがその穏やかな曲調にもかかわらず、身体をまわし、ひねるような動作をしていることを見て取ることができる。特にリヒテル特有の遅いテンポで演奏される第2楽章は、その音から感じられる動きの少なさから考えて、明らかに身体の動きが過剰である。つまりそのような一見奇妙な動きは、身体のコントロールのためになされているのではないことを示している。

だがそのような奇妙なねじれを示すのは、その身体だけではない。身体は当然、演奏に影響する。私たちはある種のいびつさをリヒテルの演奏にも聴き取る。リヒテルの演奏を注意して聴くならば、どの時代の演奏であっても、そこにゆがみがあることに気づくだろう。例えば名盤として名高いラフマニノフのピアノ協奏曲第2番の冒頭に注目しよう。鐘の音を模したと言われる重厚な和音の連続は、リヒテルの演奏ではクレッシェンドするに従い、そのテンポも加速している。より正確に言えば、それはアッチェレランドしているのではなく、テンポを保っていられないのである。

また、同じく代表的名盤とされるシューベルト最後のソナタ(D 960)の録音にもそのようなある種のゆがみが刻まれている。第1楽章であれば、提示部において第1主題が回帰してくる際や、提示部から冒頭に戻る直前のエピソードにおいて、場違いなほどの圧倒的クレッシェンドが聞かれる。それはもはや狙われた効果ではない。そう弾かされてしまったとしか言いようがないものに聞える。

このようなスタジオ録音でさえ随所に見つかるゆがみは、ライブにおいては更に多い。事実、リヒテルは演奏会でほとんどコントロール不能の状態になることがあったと言われている。最も有名なのは1960年、カーネギーホールでの《熱情》の演奏である。この一連のアメリカデビューリサイタルのうちのひとつの演奏会で、リヒテルは同曲第3楽章コーダのプレストで、ほとんど自制が効かなくなってしまった。リヒテル自身が相当のショックを受けたようで、90年代の老境に入るまで、同曲を再び弾くことはなかった。

あまり知られていないが同日の《テンペスト》の演奏にもまた、そのような個所が聞かれる。第3楽章において、リヒテルはコーダの直前で展開部へと戻ってしまっている。演奏自体は終始大過なく進むが、確実に意識の乱れはあっただろう。モーツァルトのピアノ協奏曲変ロ長調(K.595)冒頭で、同じフレーズを2回繰り返してしまうという有名なアクシデントを思い起こさせる。

演奏において、とくにステージ上においては、興奮のあまり我を失うことというのはそう珍しいことではない。しかし、巨匠とされる音楽家はみな、それに陥らないすべを知っている。たとえ盛年期にはそのようながむしゃらな状態に陥る傾向があったとしても、それが演奏において最良のあり方でないことを知るや、音楽に対して融和的な、別の向き合い方をするようになる。事実私たちは晩年の境地などという言い方で、しばしばそのようなあり方を讃え、理想的なものと考える。

だがリヒテルの演奏はその晩年に至るまで無骨であり、多くの乱れがあった。その身体をねじるような仕草は最後まで消えなかった。むしろ一層その特徴が浮かび上がっていると言っていい。そのようなある種の乱調がリヒテルをリヒテルたらしめていること、そして一方では魅力となり、他方では批判の対象となっていることは言うまでもない。ではリヒテルはなぜ、他の巨匠と呼ばれる音楽家たちのような晩年にたどりつかなかったのか。私たちはここに、演奏することの苦しみを見て取る。リヒテルの演奏、それは音楽に抵抗する苦しみである。

音楽の持つ人を攫ってしまうような魅力は、諸々の美学的議論を待つまでもないだろう。ボードレールの一節を引けばよい「音楽はしばしば私を海のようにとらえる!」それは人の身体に直接作用するような情動としてある。なぜ私たちは演奏中に我を失うのか。それは自らが演奏している音楽がそうさせるから、つまり波のように攫ってしまうからである。

リヒテルの演奏はその攫いに対する抵抗である。完全に攫われてしまっては演奏は成り立たない。ほとんどピアノにかぶりつかんばかりの姿勢は、音楽が自らを運び去ることに対する抵抗である。腕や肩をねじることも、身体を大げさに揺らすことも音楽に抗する動作としてある。すると楽譜を置くことも、単なる暗譜への不安ではなく、自ら演奏している音楽に対する距離の取り方のひとつとして考えられる。しかし、リヒテルは結局、他の巨匠たちがなしえたように音楽との和解に向うことはできなかった。

リヒテルの抵抗は単なる身体の動作に止まらない。それは極端に速い、または遅いテンポとして表れる。音楽に抗するには音楽が攫うより早く、曲を演奏し切ってしまうか、音楽が待ちきれないくらいに遅く演奏すればよい。有名なショパンの嬰ハ短調の練習曲や《革命》の恐るべきテンポは、もはやそれが演奏を超えた逃走劇となっていることを示している。遅いテンポは精神性の表れではない。それは音楽をかわす身振りである。

リヒテルの身体はもがき、苦しんでいる。結果としてその演奏には乱れが生じる。音楽と自身との拮抗が、時に微細な、また時にカタストロフィックなゆがみとなって、演奏に表れる。なぜそこまでして演奏するのかと問うことに、おそらく意味はない。音楽はそれほどまでにリヒテルにとって魅力的であった。そこに身をさらしてしまうことの悦びを知っていた。リヒテルの演奏には音楽に攫われつつ、同時にそれに抵抗するような身振りを見出すことができる。そもそも、苦痛と快楽が矛盾しないことは、精神分析の教えるところではなかったか。

リヒテルの演奏に見られるその苦しみは、演奏の根幹にある苦痛=快楽ではないだろうか。ヒエロニムス・ボスによるトリプティーク祭壇画《快楽の園》はそのことをよく示している。ほとんどシュルレアリスムの絵画と見まがうほどに奇想の限りが描き込まれたこの祭壇画は、聖書や占星術などにもとづき、さまざまに解釈されてきた。その右翼パネルには、地獄が描かれている。その画面中央よりやや下の領域には、リュート、ハープ、ハーディ・ガーディといったいくつかの楽器が描かれている。

しばしば「音楽地獄」と呼ばれるこの場面でひときわ目を引くのは、それらの巨大な楽器に人が縛り付けられていることである。楽器は人に演奏されるものである。この絵ではしかし、人が楽器に捕らわれている、つまり人が演奏される位置にある。自由な解釈が許されるならば、音楽が人間を楽器として使い、それ自身をあらしめる様子だと読み取ることができる。とはいえそれは単なる苦痛ではない。この図においてリュートとハープの交わる角度は、明らかに性行為を暗示している。この「音楽地獄」には、演奏されるという経験の肉体的な苦しみと、そして倒錯的で文字通り官能的な悦びとが同居しているのである。

リヒテルの演奏は、その意味で演奏することと演奏されることの拮抗として成り立っていると言える。そのひとつの極点を私たちはリスト晩年の作品の演奏に聴く。周知のようにリストの後期作品は彼の精神的危機と実験的意識の奇妙な混合で成り立っている。それらの作品はリヒテルのレパートリーの中核を担っていたわけではないが、いくつかは主に80年代に積極的に取り上げられた。とりわけハンガリー狂詩曲第17番や《メフィスト・ワルツ》第2番においては、リストが書き記した剥き出しの音たちと、70歳を超えいよいよその無骨さが露わになったリヒテルとの、壮絶な拮抗を聴き取ることができる。そこに露呈してしまっているのは、リヒテルの苦しむ身体そのものである。

リヒテルの演奏からゆがみを聴き取ること。そしてその裂け目から身体の苦しみを見出すこと。私たちはそのことを通して、はじめてリヒテルを聴いたと言いうる。それもまた神話に回収されるとしても、少なくともそれがいかなる神話であるかを記述することができる。リヒテルという謎に向かい合うためには、まずここからはじめなければならない。


※ボードレールの引用は岩切正一郎訳『悪の華』より。下記のページで入手可能。

http://subsites.icu.ac.jp/people/iwakiri/fleurs%20du%20mal.html

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