願生偈
In the Universe, there is an Inconceivable power(不可思議力). We gave a name to this Unnamable and call him Nyorai; We personify (so to say) him because we are persons, (Hence many honorable epithets)
宇宙間有一大法 神力自在超諸力 実是万法之体性
万法変現其徳用 非吾人識所得量 是故号不可思議
其寿無量無限極 其相無際遍十方 是故号為阿弥陀
即翻之無量寿光 宇内之間諸万物 及諸万物之諸用
皆従此法悉生現 吾人凡夫煩悩故 認此法為在外界
若人能断諸纏縛 即得証知此妙法 非外非内離差別
吾人之心与此法 畢竟平等無間隔 是名成仏得涅槃
如是論議名理論 応此躬行名実際 人住於此世界中
感苦受楽是実際 是以吾人同朋中 若欲到安楽之境
当勤修行断煩悩 即是仏教之所教 真正宗教之真相
於此教道有二門 聖道一門為聖賢 若不能入此門行
応入易行浄土門 信帰他力願往生 言他力者妙法力
言信帰者任心命 言願生者当想念 寿終之後生安楽
心性作用妙力故 此人寿命欲終時 安楽世界当現前
即是心識所変境 猶如吾人夢中界 若人無信迷惑中
寿尽一期命終了 其心用応其人業 亦当変現相応界
有極苦界諍闘界 人界天界等種々 此等世界悉皆是
唯識所変唯心土 是故欲生楽界者 現信他力摂救済
此信堅固金剛者 不違此界相応義 現当二世甚安泰
三河大浜西方寺にて明治廿三年八月廿日書之
且複写一本示稲兄
満之
抄訳
宇宙には大いなる法、力、系が存在する
その力は、我々の認知を超える、これを不可思議と呼ぶ
永遠であり、あまねく偏在する、これを阿弥陀と呼ぶ
万物がその光に照らされ、そのはたらきを受ける
誰もがその恩恵を受けているが、煩悩により認知することがない
煩悩の束縛を断ち切れれば、この力を知り、分別から離れられる
この法が心にあれば 誰もが成仏でき涅槃を得る
この教義を知り、実践してゆけばその世界に至る
苦楽があっても、誰もが安楽の世界に行きたいと願う
この煩悩を断つ修行が、仏教の教える所であり真の宗教のあり方である
教えの道が二つある。聖賢のための聖道門、この門に入れなくても
浄土門に入ることは易しい。他力によって往生を願うことができる
帰命し、往生を願うならば寿命が尽きるとき安楽の国に生まれる
この不思議な力で、寿命が終わるとき、安楽の世界が現れる
意識が変われば、夢の中にいるようになる。信じられず迷いがあれば
その寿命が尽きるとき、その人の業によって行くべきところへ行く
それは苦しみ争う世界かもしれないし、人界や天界かもしれない
心のあり方で行き先が決まる。極楽に行きたい人は他力の救済を信じる
この信心が固い人は、この世界に応じて安泰の世界に住み続けられる
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