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神戸三宮「さんプラザ」震災で解体された上層階には何があったのか

 2021年9月、株式会社文藝春秋が運営する「文春オンライン」に興味深い記事が掲載されました。兵庫県神戸市中央区三宮町に建っています「さんプラザ」という商業施設に関するもので、その内容はこの記事と関係がありませんので触れませんが、とても気になる一文がありました。

6階部分は今も、1月17日の地震発生当日の姿のまま、放置されている。

文春オンライン(記事は2023年11月30日現在非公開になっています)

 え、そうなの?

 さんプラザの立つ場所は神戸の三宮、鉄道の駅のすぐそばで、繁華街の中心と言って良い場所です。飲食店や小売店、医療機関などが入居されていてとても賑わっています。私も若い頃はさんプラザにあるゲームセンターに通っていました。USAとかシャークとか……。
 そんなさんプラザの6階が1995年(平成7年)1月17日の阪神・淡路大震災からそのまま放置されているの? 本当に?

※ 2024年8月31日 追記しました。記事の最後部をお読み下さい。


2021年現在のさんプラザ

ディレクトリには……

 というわけでさんプラザへやって来ました。この記事を書いていますのは2023年11月ですが、訪れたのは2021年9月です。
 1階にディレクトリがありましたので見てみました。私の姿がちょっと写り込んでいますが……。
 ディレクトリに6階は描かれているのですが、色が駐車場である4階5階とは微妙に違っていますね。上部に書かれています色の説明にも6階の色はありません。それは……つまり……。

 考えても仕方がありません。早速行ってみましょう。エレベーターに乗り込みました。

 あれ! 6階のボタンはあるけど停まらないのね。えー。とりあえず5階に上ってみましょう。

さんプラザは何階建てだった?

 5階に着くまでの時間でさんプラザのことをちょっと説明しますね。

 外から見ましても中を歩きましても大きな商業施設であるさんプラザですが、実際は3つの建物に分かれていまして、東から「さんプラザ」「センタープラザ」「センタープラザ西館」となっています。管理運営は株式会社サンセンタープラザです。
 さんプラザは最も早く竣工した建物で、1970年(昭和45年)4月28日にオープンしました。「月刊神戸っ子」という雑誌の1970年5月号に「フィーリングタウン さんプラザ 4月28日オープン!」という広告が掲載されています。

「月刊神戸っ子」1970年5月号

 ところでこの広告をよく見て下さい。何か違和感がありませんか?

 先程のディレクトリは6階までしか描かれていません。あれ、広告を見るともうちょっと高い建物のようですが……?

「月刊神戸っ子」1970年4月号には建設途中の写真が掲載されています。

「月刊神戸っ子」1970年4月号

 あれ、やっぱり6階以上の高さがありそうですよね?

「月刊神戸っ子」1970年6月号にさんプラザの断面図が掲載されていました。

「月刊神戸っ子」1970年6月号

 10階まであるぞ!
 6階は「各国料理街」、7階は「文化教室」、8階は「ボウリング場」、9階は「電気・機械室」、10階は「プール」とのことです。10階にプールって、最上階に重たそうなものを持って来ましたね……。

 さんプラザは当初10階建てだったのです。それがどうして6階建てに?

 1995年(平成7年)1月17日に発生しました阪神・淡路大震災で8階が圧壊してしまったのです。
 建物そのものの解体はせず、7階以上を解体し、現在に至るのです。6階はどうして解体されなかったのか……は分かりません。

お店の看板が残っていた

 5階に着きました。ここは北東です。
 見上げますとすぐそこに6階ですが、中は見えるのかな? とりあえずうろうろしてみましょう。

 見えるやん!
 早速の看板にちょっと興奮してしまいます。1枚の看板のようですね。

 左側に描かれていますのはアメリカの国旗……? なんでまたアメリカ?

 右側は「MISAE」「PARACHUTE」「PASTEL BOX」「PIPE LINE」「SEED-BOY」「TINY POCKET(TINY ROCKET?)」「バーズ・クラブ」「フライ」「ブルー・ノート」「ムッシュドンファン」「メンズピアーコウベ」「ラパス」……お店の名前なんですかねぇ。どういうお店だったのでしょう。

 営業時間はAM10:30~PM7:30。さすがに飲み屋ではないか……。いやそういう時間帯に営業している飲み屋もありますけどね。
 飲食店は地下や最上階というイメージがありますし、6階は衣類や雑貨の店が並ぶフロアだったのでしょうかね。

 東へ向かって歩きます。

震災の傷跡も残っていた

 中はなんとなく見えますが、お店だったような雰囲気は感じませんね。最初から看板が見えて興奮はしましたが、よく見ますとその背後もお店とは思えませんでしたね。

 先の断面図では9階が電気・機械室でした。その機能が6階に移されたのかも知れません。

 東の端に着きそうですがお店らしき雰囲気はありません。

 天井のあたりに見えますこれは何でしょう……。スマホカメラですのでズームは弱いんです。何なのかは分かりませんが、震災からそのままという雰囲気はありますね。

 西側に着きました。

 この窓は何ぞ……。

 何か貼っていたのを剥がした跡でしょうか。ステンドグラスのような雰囲気だったのでしょうかね。

 南へ進みますと、窓がない部分がある……? 柵は落下防止?
 何だったのでしょうね。山側に向いた窓なら分からないでもないのですが、ここは西側に向いた窓です。西に見えるのはさんプラザより高いセンタープラザなのですよ。

 ところで

 ちょっと気になりますね。

 窓に映った背後の景色でなければ、破れた天井なのでしょうね。

 ここも

 ヒビの入った柱か壁ですよねぇ? わりと生々しく残っていますね。まぁ震災の直後はこれくらいのヒビならマシなものと思える街並みでしたけど。

 6階を見ながらぐるりと一周出来る造りにはなっていませんでしたので南側がどうなっているのかは分かりませんでした。

 南東へ移動しました。

 南側に階段がありましたが、立ち入り禁止になっています。
 かつては10階まで続いていたのでしょうね。今は6階の上までしかありませんが、上ってみたい……!

 Googleマップの航空写真で見てみますと結構な錆色ですね……そりゃそうですよね。震災でさえ四半世紀以上前ですのに階段が設置されたのはそれより前ですものね。

 階段に後ろ髪を引かれますが……歩きましょう。

 この窓の汚れは何ぞ……。自然に汚れたというよりは誰かが粉か液体を掛けたような雰囲気ですね。

 ここは拭いた跡なのかな……。

 東側です。

 アルミ断熱シートと言うんですかね。建築や内装のことは全く分かりませんが、破れて痛々しい姿です。

 こちらも……。

 ところで……

 おぉお! お店の名残が!
 えぇと、何と読めば良いのですかね。「MEN AND GAL」はともかく、その上は……。「BaiZ CLU」? うーん? まるで分かりません。
 こちらも天井に震災の傷跡が見えますね。痛々しい……。

上層階には何があったのか

 現地の写真はここまでです。ここからはさんプラザの昔を追い掛けてみましょう。

元々は「ジャンジャン市場」

 さんプラザの建っている場所はかつて「ジャンジャン市場」と呼ばれる、いわゆる戦後のヤミ市から生まれた市場でした。木造の飲食店が密集しており、夜はもちろん早朝も朝食を求める日雇い労働者で賑わっていました。
 足を踏み入れますと酒の臭い、ホルモン焼きの臭い、小便の臭いなどが鼻をつく、現代の神戸では考えられない空間でした。
 ……と、「月刊神戸っ子」1965年(昭和40年)2月号に書かれていました。
 ここに「月刊神戸っ子」へのリンクを貼りますとジャンジャン市場の記事に引き込まれて恐らくこの記事へ戻って来て頂けないと思いますので、リンクは最後に貼りますね。

「月刊神戸っ子」1966年(昭和41年)5月号によりますと、ジャンジャン市場は1966年4月頃に区画整理のため解体されてしまいました。
 そしてさんプラザが建築されることになったのです。

いよいよオープンだけど……?

 竣工前の「月刊神戸っ子」1969年(昭和44年)11月号に興味深い記事が掲載されました。

来春の完成がまたれるサンプラザ
(前略)
主としておもに健康的なレジャーを演出するゾーンで、プール、スケートリンク、ボーリング場と大レジャーランドができる。
(中略)
レジャーランドは来年十一月末に完成する予定

「月刊神戸っ子」1969年11月号

 レジャーランド!
 確かに先の断面図を見ますと

「月刊神戸っ子」1970年6月号

 8階は「ボウリング場」、10階は「プール」ということでした。しかしスケートリンクはいずこへ……。9階という妙な位置にありました「電気・機械室」が本当はスケートリンクに割り当てられていた場所だったのでしょうかね。

「月刊神戸っ子」1970年5月号

 そして1970年(昭和45年)4月28日にさんプラザがオープン! ……なのですが、「さんプラザ10年のあゆみ」(以下「あゆみ」)という本によりますと、実はこのとき上層階は工事中でした。地下から3階までがオープンしたのです。「月刊神戸っ子」の広告は完成予想図だったのですね。

上層階のオープンはいつ?

 上層階の完成はオープンした年の暮れ、1970年12月30日でした。あくまで「完成は」です。

 翌年の1971年(昭和46年)12月15日には4階と5階の駐車場がオープンします……あれ、6階から上は?

 東洋観光株式会社が8階から10階を神戸市から譲り受け、1972年(昭和47年)4月28日に「さんプラザボール」を8階にオープンさせます。当初の予定通りボウリング場ですが、妙に時間が掛かったのは何故なのでしょうね……。

 上層階は段階的にオープンしていったようです。

巨大レジャープラザ「サンセブン」のオープン

「月刊神戸っ子」1972年12月号に気になる広告が掲載されました。

「月刊神戸っ子」1972年12月号

 6階と7階に「サンセブン(777)」というレジャープラザが誕生するようです。6階は「世界の味覚タウン」、7階は「サウンドが響き映像がきらめくプレイタウン」とのことです。
 先の断面図によりますと6階は「各国料理街」ということでしたのでそれがサンセブンに吸収されたのかなと思いますが、7階は「文化教室」だったはず。流行らなかったんですかね。
 ……と思いましたが、「あゆみ」を読みますとサンセブンは大洋興業株式会社が6階と7階を譲り受け1972年11月25日にオープンさせたもので、そもそも「各国料理街」も「文化教室」も実現してはいなかったのです。

「月刊神戸っ子」1972年12月号

 ちょっと気になったのですが、6階には「セルフクッキングコーナー」があり「二人でつくって食べて」とのこと。家庭の台所のような設備があって一緒に料理をすることで仲を深めるということかしらん? と思っていましたら、3ヶ月後の「月刊神戸っ子」に

「月刊神戸っ子」1973年3月号

 鉄板を囲んで飲み食いするコーナーだったようですね。さすがに現代の料理合コンみたいなものではなかったか……。

上層階の充実

 1973年(昭和48年)5月4日には屋上ビアガーデンが、同年12月20日には10階にスポーツパレスがオープンしました。レイシューティングやゴルフクリニックを擁するレジャー施設だったようですが、「レイシューティング」が何なのか調べても分かりませんでした。
 ……9階は? 9階は本当に電気・機械室だったのか、「あゆみ」に記すほどでもない何かだったのか謎ですが、上層階も充実しさんプラザは賑わいを見せることになります。

苦難の道のり

 明るい未来を見ていたはずの1974年(昭和49年)1月4日、6階にて火災が発生します。午後9時40分頃に出火し、1時間も経たず鎮火したものの修理費用は約1千6百万円という多額なものでした。

 その後もサンセブンは営業されていたようですが、オープンから約3年9ヶ月後の「月刊神戸っ子」1976年(昭和51年)9月号に衝撃の記事が掲載されます。

三宮に新しいファッションタウンがオープン
神戸都市開発株式会社が三宮に新しいファッションタウンを建設している。
「サンロイヤルプラザ神戸」がそれで、サンプラザの六階から十階までを使う
各階の構成は、六階-個性派ファッション雑貨専門店のヤングファッションタウン
七階-世界のオートクチュール・ブティックのロイヤルファッションストリート
八階-ファッション雑貨とショーのエレガンスタウン
九階-美容院、ツーリスト、雑貨のホピーアンドサービス
十階-ファッション広場と飲食、ファッション雑貨・ギフトのファッションジョイプラザとなっている。
また、三階のファッションパークにはインフォメーションがおかれている。十一月にオープンする予定。

「月刊神戸っ子」1976年9月号

 え!
 サンセブンは? 8階のボウリング場は? 10階のスポーツパレスは?
 ボウリングブームが下火になってしまったということは想像が付くのですが……。

「あゆみ」によりますと、なんと1976年4月1日から6階と7階が閉鎖、5月10日からそれより上の階が全て閉鎖されていたとのこと。ボウリング客がサンセブンに下りて行くということはあっても下層階の買い物客がサンセブンに上がって行くということはあまりなかったのでしょうかね。

サンロイヤル神戸のオープン

「月刊神戸っ子」1977年6月号

 それから9ヶ月後の「月刊神戸っ子」1977年(昭和52年)6月号にオープンの記事が掲載されていました。「みつめられるファッション回廊」というキャッチフレーズで4月28日にオープンとのことです。名称は「サンロイヤルプラザ神戸」から「サンロイヤル神戸」に変更されたようですね。
 プールやボウリング場を取り壊して店舗を造るとは大がかりな工事に思いますが、方向転換する体力があるというのはすごいことなのですよね。「あゆみ」によりますと、大洋興業と東洋観光が共同出資で「神戸都市開発株式会社」を設立し、サンロイヤル神戸をオープンさせたとのことです。

「月刊神戸っ子」に広告が掲載されていました。

「月刊神戸っ子」1977年6月号
「月刊神戸っ子」1977年6月号
「月刊神戸っ子」1977年6月号

また苦難……?

 華々しく再スタートした上層階ですが順風満帆ではなかったようで、サンロイヤル神戸のオープンから1年後の1978年(昭和53年)には共益費の未納により8月26日から9月2日5時まで6階から10階の電力、水道、冷暖房が供給停止されてしまうという事態に陥ります。えぇ……。

入居されていたテナントは?

 共益費が未納になるほど懐事情は苦しかったのでしょうか。どれだけのテナントが入居されていたのでしょう?
 オープン当初の「月刊神戸っ子」を何冊か調べましたところ

 7階「ホソノ」「カネボウブティック」「ミスバリー」「ドナルドデイビス」「ヴィジョデ パリス」「ベニー毛皮店」「ミキモト」「三番館」「ルックスボルト」「チャールスG」「madam kiki」「薔薇」「三番館」「マーム神戸店」「メガネの三城」「クロス」「ルシックライカ」「ローザンヌ」「君島一郎ブティック」「ヤナセコレクション」「Pari-Je」「ブティック武生」「かつら屋」「ピサ」
 8階「婦人服飾・トータルファッション ブー」
 10階「味の回廊」に「うどん 四國」「ピアノホール バックステージ」「スパゲティ専門店 壁の穴」

 ……などが分かりました。

「あゆみ」にサンロイヤル神戸のオープンから約3年後の1980年(昭和55年)3月18日現在のテナント一覧が掲載されていました。

 10階は先の3店や「スカイパブレストラン ISSHIN KOBE」「紅茶専門店 スリーランカ館」など飲食のテナントが並ぶものの、半分以上のテナントは「ブティック カプリコーン」「ANTIQUE ろくざえもん」「ジプシー占い ういざあど」など飲食ではなく、「味の回廊」というコンセプトのブレを感じます。
 また、部屋番号が記されているのですが1002、1005、1008……と妙に飛んでいまして、空きテナントが多くあったものと考えられます。
 9階は「輸入家具とインテリア 山久インテリア家具パレス神戸店」のみ。あれ、9階は電気・機械室ではなかったようですね。
 8階は「BOUTIQUE KOBEブー」「古地図・エッティング アーツトーゴー」「バラエティショップ マリーサ」など「ファッション雑貨とショーのエレガンスタウン」っぽい雰囲気はあるものの「マルト卓球場」も入居されていて少し驚くところです。
 7階は「ダイヤモンド専門店 神戸ダイヤモンドセンター」「メガネ メガネの三城 パリーミキ」「ブティック 薔薇」「舶来雑貨 チャールスG」「婦人服 ミスバリー」「創造写真 フォトファンタジアKOBE」「貴金属、服飾雑貨 ビジュティエル・ド・パリ」「舶来バッグ マダムキキ」と、当初のテナントはほとんど退店してしまわれたことが分かります。
 部屋番号も706、714~715、716、718、724、725、726、731と飛んでいまして、少なくとも31テナント分の部屋があったのでしょうけども、さすがに寂しい状態です。共益費の未納もやむなし……そうか?

神戸アメリカ村の登場

 さて6階の「個性派ファッション雑貨専門店のヤングファッションタウン」には「マンガと文庫 ふるほんや」「アクセサリー、占 らいぶ」「民芸、衣料、雑貨 英(ひで)」や「神戸アメリカ村」が入居され……神戸アメリカ村? あれ、アメリカ村ってのは大阪の西心斎橋なのでは……。

 あ!

 6階に残されていた看板に

 アメリカの国旗が描かれていましたね。そうかー、そういうことかー。

 さんプラザの6階は「神戸アメリカ村」と称され、若者向けのオシャレなお店が並んでいたようです。
「あゆみ」に掲載されていましたお店は「ランバージャック」「シューマート」「グウズ」「フィフスアベニュー」「ドリームハウス」「ばんばん」「ミルキーランド」「プルシャンブルー」「エスプリ」「アメリカンロングリバー」「ドウービー」「ホットピープル」「ハイテック」「ロロ」「コカイン」「サハラ」「キャロル」……皆様の思い出の名前はありますでしょうか。

 この看板に書かれているお店は「あゆみ」には載っていませんね……。

神戸アメリカ村はどうなったのか

 神戸アメリカ村について調べますと当時をご存知の方のブログが見付かりました。

その後まだ80年代だったと思うけど
六階から上はなぜか閉鎖になり
アメリカ村はスポーツワールドの地下へ。

HAPPY★P★DAYS「神戸懐かしい話」

その後此処が、閉鎖と成った後は地下へと潜る事に成る訳ですが、
90年中頃には完全に消滅してしまいました。

☆月光のあれこれ日記☆「☆生きていた廃墟の巻!! ☆(旧神戸アメリカ村編)Vol,2☆」

 また、さんプラザに出店されていたテナントのオーナーのブログには

サンプラザの7Fは思っていた以上に厳しい場所やった。フロアーの半分以上がホームセンターになっていて、その残りに我々ショップが入ってるんやけど、そのメインのホームセンターがガラガラで閑散としとる。人の流れは6Fまでやな。7Fにはおこぼれが上がってくる程度や。
(中略)
そのうちホームセンターが出て行って7Fはまるでゴーストタウンや。

神戸のウエスタンショップ 「ゴールドラッシュ」 GOLDRUSH のオーナーの ひ と り ご と「GOLDRUSH STORY!」Vol.5

 こちらのブログを読み進めますと、6階と7階のテナント契約で問題が発生していたようです。7階のホームセンターが退店し、6階の神戸アメリカ村も1988年(昭和63年)の春頃に全店が「ヒューストン101」というテナントビルに移転されたようです。調べてみますとさんプラザの近くにあります「グレースコウベ」というビルがかつてヒューストン101と呼ばれていたようですね。
 8階から上は分からないのですが、6階と7階については1995年(平成7年)の阪神・淡路大震災より前に閉鎖されていたようです。そうしますとアメリカの国旗が描かれた看板が残されているのも納得です。

そして復興へ

 阪神・淡路大震災から5年が経過した2000年(平成12年)、さんプラザは30周年を迎えました。
「月刊神戸っ子」2000年4月号にさんプラザ名店会会長の対談が掲載されていました。それによりますと、5階から下の修理費は見積りで約25億円、7階から上の解体費は4億5千万円だったということです。
 またこの対談で興味深いところは

5基あったエレベーターが震災で壊れ、今まで運転ができていませんでしたが、そのうちの3基が4月20日に復旧します。

「月刊神戸っ子」2000年4月号

 エレベーターの復旧に5年! エレベーターとはそういうものなのか、エスカレーターがあるので後回しにされていたのか……? 1900年代の終わり頃からさんプラザにはよく出入りしていましたが、エレベーターが動いていなかったとは気が付きませんでした。

まだまだ現役

 建築から半世紀を過ぎたさんプラザですが2023年には外壁改修工事が行われました。

 遠くから眺めてみます。

 おぉ、綺麗になっています!
 よく見ますとアメリカ国旗も健在です。スマホカメラのズームですので画質が粗くて申し訳ないのですが……。

 阪神・淡路大震災から四半世紀以上が経過し街を歩きましても震災の傷跡を目にすることはまずありませんが、この6階はこれからもこのままの姿で居続けるのでしょう……。

 最後までお読み下さいましてありがとうございました。

参考

「月刊神戸っ子」
(ジャンジャン市場の記事が掲載されている号)

「さんプラザ10年のあゆみ」
「神戸のウエスタンショップ 「ゴールドラッシュ」 GOLDRUSH のオーナーの ひ と り ご と」
「HAPPY★P★DAYS」
「☆月光のあれこれ日記☆」

2024年8月31日 追記

「月刊神戸っ子」1978年(昭和53年)3月号に興味深い記事が掲載されていました。

「月刊神戸っ子」1978年3月号

心機一転サンロイヤル組合設立パーティ
昨年オープンしたサンロイヤル(さんプラザ6F~10F)が厳しい環境の中で、"サンロイヤル神戸事業協同組合設立パーティ"を1月24日、午後6時30分よりサンロイヤル10Fの広場で、開いた。広瀬嘉一新理事長は、「一致協力して導入口の問題解決やテナントが自力で素晴らしい店をつくるよう販促活動にも力を入れたい」と挨拶。
(中略)
全店が一致団結して、神戸の表玄関として繁栄してほしいものである。

「月刊神戸っ子」1978年3月号

 サンロイヤルのオープンは1977年(昭和52年)4月28日でした。オープンから9ヵ月後の時点で「厳しい環境」と認識されていたのですね。そこからさらに7ヶ月後には前述の電力、水道、冷暖房が供給停止されてしまうという事態に陥るわけですが……。

 ところで理事長のコメントにあります「導入口の問題解決」が気になりますね。どういう意味なのでしょう……。
 あ、4階と5階は駐車場でしたね。上層階へエスカレーターで繋がっていたのか、エレベーターしかなかったのか、何とも分かりませんが、特に目的もなく徒歩で1階から入った人が1階2階3階と見て回って駐車場をわざわざ乗り越えて6階へ行くかと言うと……? 帰ってしまう人も多そうですよね。
 駐車場の位置が違っていたらさんプラザの歴史も違っていたのかなぁ……と夢想してしまいます。

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栗橋英実
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