街の明かりが生まれるまで(往復書簡14)
このnoteは雨宮真由、斎藤見咲子、坂中真魚による公開書簡シリーズの14通目です。今回から「照明」がテーマです。
坂中真魚から、雨宮さんへ
窓の「隔てる」機能について、面白く読みました。
"一応は自分に関わりのないこととして考えて、いつまでも見つめていられる。"
という部分、窓が好きな自分たちの「ずるさ」を知覚していることの潔さが心に残りました。
見咲子さんも窓は「調整役」だと書かれていて、現代住宅に不可欠な存在であることを再認識しました。
”いいとこどりみたいな場所が窓辺なのかな。外も見えるし、光も風も受け取れる。でも…過剰なものを受け取らずに済む。”
現在の住空間に欠かせないもののうち「照明」について考えたとき、窓よりは比較的新しく標準装備になったパーツなんじゃないかと思いました。
(ちゃんと調べてないので印象です、すみません。)
私はいろんなデザインの照明器具を見るのが好きなので、いま自分の部屋には5つライトがあります。純粋に装飾として使用しているものもある。ライト以外にキャンドルもあるし。掃除が面倒です。これって昔の人からしたら贅沢なのかも。
広義の「光」を詠んだ無数の短歌のうち、私は「街の明かり」の歌を読むのが好きです。都市詠が好きだからかな。
位置動くことなきゆゑに窓に見る街の灯の沸くかがやき寂し
/「開冬」佐藤佐太郎
ふたしかな星座のようにきみがいる団地を抱いてうつくしい街
/「眼鏡屋は夕ぐれのため」佐藤弓生
問十二、夜空の青を微分せよ。街の明りは無視してもよい
/河北天華
そして、この自分の好きな街の明かりの歌が普通にいっぱい詠まれるようになるライフスタイルが成立するまでの条件って実は複雑だよなと思う。
室内灯が電気+電球の形式に変わったのはエジソン以降の話だし、〈近代短歌〉の初期は行燈とかランプが室内照明だったわけで。
ようやく電灯が普及したと思ったら戦争があって一時逆戻りしたり。
そもそも〈和歌〉の時代はマジの自然光=「ひかり」だったんだよなあと、現代人の私はたまにびっくりします。日光・月・星…とかの光、障子ごしの雪明かりだけの世界。
原人が自然発火を利用した時代から、密集した高低のビルや家屋のすべてに照明器具と電気が普及し透明度の高いガラス越しに照射される光景を「100万ドルの夜景」と呼んで消費する文化に至るまでの、長い変遷を考えるとかなり面白くないですか。
スポットライトとか舞台の「照明」の話もしたかったけど「暮らしと短歌」のテーマから逸れるし、今度また機会があったら書きます。
雨宮さんにとっての照明のイメージを聞けるのを楽しみにしています。
照明をLEDに変えていき蛍光灯がふたつ残った/坂中真魚
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